勝みなみ、畑岡奈紗、河本結、新垣比菜、小祝さくら、渋野日向子、大里桃子、原英莉花、高橋彩華、吉本ひかる・・・・・・
黄金世代の顔ぶれはバライティに富み、実に華やかだ。
実績と実力がすでに世界トップレベルの人、今まさに世界へ飛び出そうとするプレーヤー、実力は未知数ながら美人プロゴルファーとして注目される選手。
様々な個性を発揮するのが黄金世代だ。
この世代を開いたのが、あの勝みなみ。
2014年『KKT杯バンテリンレディスオープン』での、あまりにも鮮烈な優勝。
高校1年生15歳、春の快挙だった。
勝みなみよ、これからだ!
2014年4月『KKT杯バンテリンレディス』でアマチュアの勝みなみが15歳と293日でプロツアー優勝。
2012年にキム・ヒョージュ(韓国)『サントリーレディス』で記録した16歳332日を大幅に更新しツアー史上最年少優勝記録を達成。
アマチュア選手のツアー優勝は清元登子、宮里藍、キムに続いて史上4人目の快挙と記録づくめの勝利となった。
1998~1999年生れを黄金世代と呼ぶが、その世代最初のプロツアー優勝が勝みなみだった。
その後、畑岡奈紗、小祝さくら、渋野日向子など、続々と黄金世代は日本へ世界へと巣立っていく。
勝みなみは、しかし2017年7月のプロテスト合格後は周囲の期待をよそに低迷した。
2018年、ツアー終盤の『大王製紙エリエールレディスオープン』で勝利し、復活の手応えを掴む。
翌、2019年は2勝を挙げ、トップテン入り13回と完全復活まであと一歩。
並みの選手であれば年間2勝は上々、大いに胸を張れる。
だが勝みなみのレベルでは、今一つ物足りない。
もっともっとやれる、純金の真価発揮にはまだ8合目あたりか。
勝みなみは非常にしっかりした世界観を持つ女性だ。
社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。
このような選手こそ、ツアーを引っ張るにふさわしい。
「米ツアーで1勝」
を宣言した今後は、大いに期待できる。
2014年女子ツアーではもう一つ、将来を予感させる大きな出来事があった。
鈴木愛選手が最年少で『日本女子プロゴルフ選手権』を制覇したのだ。
鈴木はメジャー『日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯』を20歳128日で制覇。
これはメジャーでは歴代3位の年少記録であり、『日本女子プロゴルフ選手権』に限れば最年少の記録だ。
大舞台でメンタルの強さをみせた鈴木であるが、その後の活躍は目覚ましいものがある。
彼女にとって、日本女子ツアー年間5勝は一つのステップに過ぎない。
目線は遥かに高い。
前人未到の年間20勝が大目標だという。
是非、達成してもらいたい。
2014年はまた、錦織圭選手が『全米テニス選手権』で準優勝した年でもあった。
世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破り、日本人として初めて4大大会のシングルス決勝に進出。
決勝では敗れはしたが、日本人としては未到の快挙だった。
日本人のグランドスラム決勝進出は、しばらく無理かも知れない。
2014年世界で起きたこと・日本で起きたこと
2014年は世界で痛ましい事故が起きている。
3月8日、乗客乗員239人を乗せたマレーシア航空MH370便が、マレーシアの首都クアラルンプールから北京へ向う途中、突如消息を絶った。
大規模な捜索活動にもかかわらず、機体はいまだに発見されていない。
乗客・乗員を道ずれに機長の自殺だったと、当局がコメントしている。
4月16日は乗客乗員476人を乗せた旅客船セウォル号が沈没、高校生250人を含む304人が死亡した。
韓国史上最悪の海難事故だ。
9月28日には香港で、2017年の次期香港行政長官選挙の全面民主化を求める、大規模デモが決行された。
デモ隊と警官隊が衝突を繰り返す。
抗議行動は2か月以上にわたって続いた。
香港の民主化運動は、ここから始まった。
さて、我が日本である。
世にも珍しい事件が起きている。
STAP細胞、歓喜と転落だ。
理化学研究所・再生科学総合研究センターの小保方晴子・研究ユニットリーダーらが執筆したSTAP細胞の論文が、英科学誌『ネイチャー』に掲載された。
新型の万能細胞だとするSTAP細胞は当初、「生物学の常識を覆す画期的な発見」とされ、小保方氏は一躍・時の人となった。
しかし、間もなく
「論文に不自然な画像がある」
と複数の学者らから指摘され、理研は調査を開始。
その年の4月1日には不正が認定される。
ネイチャーも7月には論文の撤回を発表した。
その後、小保方氏が参加した検証実験においても論文に書かれた手法では細胞を作成できず、理研は12月19日に実験打ち切りを発表している。
百田尚樹氏が『売国奴』と罵った世政治家の死
この年、百田尚樹氏のTwitterが大炎上した。
2014年9月、亡くなった土井たか子元社民党党首を売国奴とツイート上で評したのだ。
日本では死ねば皆、佛である。
死者に鞭打つことが許されざることなのは、日本古来の風習だ。
過激な発言が持ち味の百田氏とは言え、ここまでしたのにはそれなりの理由があるだろう。
彼の言い分はこうである。
「北朝鮮による日本人拉致疑惑が言われだした1980年代後半、土井氏は北朝鮮の拉致などない、と何度も発言していたし、党の公式ホームページにおいても、(北朝鮮の)拉致は創作された事件とまで言い切る、論文を書いていた。
つまり彼女は拉致された日本人を救おうとはせず、それどころか党を挙げて北朝鮮を擁護し続けていたのだ。
それだけでも売国奴と呼ぶにふさわしいが、土井氏にはもうひとつ重大な疑惑がある」
ヨーロッパで北朝鮮に拉致された石岡亨さんが、決死の思いで家族に当てた手紙が、1988年9月、ポーランド経由で日本に届いた。
これは奇跡のような出来事だ。
大きく地球を迂回して日本に届いたのだ。
もし手紙を書いたことが北朝鮮当局に漏れたならば命は危ない。
その手紙を日本まで届けた人物たちも同様である。
しかし手紙は石岡さんが命がけであることを知る人たちの手によって、日本に届いたのだ。
手紙はやはり北朝鮮に拉致された、有本恵子さんのご両親のもとに届けられた。
実は有本恵子さんは北朝鮮で石岡さんと結婚していたのだった。
子どももいた。
有本さんのご両親は外務省に娘の救助を要請するが、当時は政府自民党も北朝鮮の拉致を公式には認めていなかったため、相手にされなかった。
この頃の自民党、外務省の姿勢は万死に値する。
北朝鮮にシンパシーを持つ、竹下登、金丸信が政界を牛耳った弊害が大きい。
外務省に無視された有本さんご夫婦は藁にもすがる思いで、当時、北朝鮮にパイプがあると噂された社会党にお願いしようと考えた。
同年九月に国会のエレベーター前で土井氏をつかまえ、彼女に手紙の存在を伝え、娘が北朝鮮に拉致されていることを訴えた。
しかし土井氏はまったく相手にしなかった。
「拉致などない!」
そう断言していた彼女のことだから、これは当然の対応ではあるが、驚くべきことが後に明らかになる。
驚くべき事とは、石岡亨さんと有本恵子さんは1988年11月にガス中毒で子どもと一緒に、すでに死亡している。
小泉訪朝の時、北朝鮮は訪朝団にこのように報告している。
百田氏は思うのだった。
1988年11月と言えば、有本さんが土井氏に手紙のことを伝えたわずか2カ月後である。
こんな偶然があるだろうか。
しかも北朝鮮は『遺体は洪水で流失した』と報告した。
当然、本当の死因もわからない。
土井氏が手紙の存在を北朝鮮に漏らしたことで、石岡さんと有本さんは粛清された可能性がある。
「もちろん確証はない。
だからツイートでは疑惑という言葉を使った」
百田氏はこう語る。
百田氏が怒る理由は他にもある。
土井氏は韓国政府に捕まっていた拉致の実行犯・辛光洙の釈放を求める要望書を韓国政府に提出していることだ。
拉致された日本人被害者を救おうとはせずに、日本人を拉致した北朝鮮の極悪人を救おうとする。
日本の政治家として許されるのか。
このとき同じ要望書に名前を連ねたのが民主党の菅直人氏である。
恐ろしいというべきか、この男は後に首相になっている。
日本人は韓国大統領・文在寅氏を共産主義者、親北朝鮮と揶揄する人が多い。
だが冷静に考えてみよう。
我が日本に9年前、バリバリの親北朝鮮・共産主義者の首相がいたのだ。
別に昔の話では、つい最近である。
北朝鮮が正式に拉致を認めた後である。
北朝鮮の最高責任者が公式に拉致を謝罪した後にだ。
日本人の命より、閻魔様でも驚く、大悪業を働いた北朝鮮の極悪人の命が大事。
そんな輩が日本の総理大臣だったのだ。
2020年6月5日、横田恵さんの父・滋さんが逝った。
これを知った社民党の福島瑞穂氏がTwitterでつぶやいている。
「滋さんが元気なうちに解決できなくて、申し訳ない」
せめてもの救いだ。
土井たか子氏にあこがれて国会議員になったという、立憲民主の某女史。
「それでも、拉致はなかった」
そう、つぶやかないことを願う。