あの、石川遼が見事復活を遂げた。
一時の7打差を大逆転。
国内メジャー初制覇。
石川らしい何とも派手な復活劇だった。
石川遼が復活勝利で2020オリンピック代表へ名乗り!
2019年7月7日、石川遼(27歳・CASIO)が、劇的勝利で涙の国内メジャー初制覇を飾った。
7打差と一時は大きく首位に引き離され、諦めかけてからの逆転優勝だから、喜びもひとしおだったろう。
3,000万円の優勝賞金を手にしたこの勝利は、石川遼の2020年東京オリンピック出場へ大きく道を開く1勝でもある。
不屈の闘志で復活した若きチャレンジャーは、ギリギリのところで大舞台へ挑むチャンスを自らの手でつかみ取った。
勝負事と人生は何が幸いするかわからない。
九州南部で続いた大雨の影響で決勝の2ラウンド分の36ホールが、1日で行われたことは石川の勝利に大きな影響を与えたのではないだろうか。
首位との差が7打とが開いても残りのホール数が多かったので、奇跡の追い上げができたのだった。
首位に追いついたのは35ホール目だったことがそれを物語る。
黄重坤(ハン・ジュンゴン、27歳・韓国)を捉え、通算13アンダーの269で並んだプレーオフ1ホール目に4メートルのイーグルパットを沈めた勝利は、石川らしい派手な復活劇だった。
この日は何と37ホールを戦ったのだが、強運も味方した。
9時間11分に及ぶ死闘に決着をつけたのは、プレーオフの18番パー5でねじ込んだ4メートルのイーグルパットだったが、第1打はOBでもおかしくないショットで、右のカート道路に当たりフェアウエー中央に跳ね返ってきた。
この強運を味方にしたのだから、やはり何かを持っている男なのだ。
石川は半信半疑で戸惑った、これは夢なのか?それとも現実?しかし、喜びはすぐに爆発した。
長い勝負が決着を見て一瞬間を置き、石川は絶叫し目を潤ませグリーン上で小躍りした。
3年間の思いが洪水のように去来した。
幾度も襲った怪我との闘い、そしてイップスに悩まされた。
「信じられません。
今までの優勝で一番興奮しました」
「落ちるところまで落ちて、優勝は不可能だと思っていたのに。
これは夢なのか、まだどこか、遠くにいる感じがします」
諦めろ、もう駄目だ、まだ次のチャンスがあるさ。
何度も心の中でそうささやく自分がいた。
午前中に行われた第3Rで、一時は単独首位に立ちながらも4番でボギー、5番6番と連続ダブルボギーの体たらく。
3ホールで5つもスコアを落としたら、誰だって気持ちは萎んでしまう。
さらには後半の11番、12番で連続ボギーを打った時点で通算5アンダーまで後退し、首位とは絶望的な7打差。
あきらめとやるせなさに襲われながら、つい覗いてしまったリーダーボード。
「見たくなかったけど見えてしまいました。
トップが12アンダーでした。
自分よりスコアが1つ上の6アンダーで二十何位かだった。
いや、もう苦痛でした」
諦めかけながらもアイアンショットを修正し、終盤の3連続バーディーで踏ん張り、首位と4打差まで縮めて第3Rを終え、午後の第4Rへかすかだが希望を残した。
プレイは進み、夕暮れ迫る残り3ホールで首位に立つ黄との差は3打もあった。
石川が16番で奪ったバディーで2打差となり、続く17番パー3で黄が放ったティーショットは悪いショットではなかった。
だがグリーンを捉えたにもかかわらず、ボールは無情にも傾斜を転がり池へポチャり。
これで首位の黄はダボを打って、ついに7打差から追いつきプレーオフにもつれた。
信じがたい展開であるが、この時点で勝利の女神は石川遼に微笑む準備をしていたのかも知れない。
石川のプレーオフでの一打目と黄の17番ティショットは、あまりにも対照的な結末だった。
石川遼は試合後、正直に語った。
「自信をつけるのは簡単ではないが、自信を失うのはあっという間ですよね。
だから練習をするしかなかったのです。
今年までしかシード権がなくて、生涯獲得賞金の出場資格まで考えた自分がいました」
17年に米ツアー出場権を失い、昨年はドライバーのイップスに悩まされ、今年は腰にヘルニアの状が出て、5月の中日クラウンズでゴルフ人生初めて無念の途中棄権を経験した。
その後は試合から遠ざかるしかなかった。
15歳だった2007年マンシングウェアKSB杯で、1日36ホールを戦い日本ツアー最年少優勝を飾った。
開聞岳に沈む夕日を眺めながら、あの時を石川遼は思い出していたのかも知れない。
この勝利で向こう5年間のシード権を獲得し、2020年東京オリンピック出場と米ツアー再挑戦をきっぱりと目標に掲げた。
石川遼に再び強い挑戦意欲と輝きが戻って来た。