『ミスタープロ野球』『世紀のスーパースター』など、多くの異称を戴き、数々の伝説を残した長嶋茂雄さん。
筆者はゴルフ場で三度ほど見かけたことがある。
そして、一度だけだったが短い会話を交わしたこともあった。
長嶋ファンの自分にとっては、天にも昇るようなひと時だった。
今となっては、もう心の宝物だ。
世紀のスーパースター、その存在感と恐るべき追っかけ!
本当に格好いい男だ。
輝いて見える。
人を見てこんな感覚になったのは、初めてのことだ。
ベージュのズボンにあざやかなグリーンのセーター。
Vネックからのぞく、ゴルフウエアの白い襟。
サッパリさわやかなファッションが、スタイリッシュな長身に実によく似合っていた。
打席に立つと軽く素振りをくれて、いきなりドライバーで打ち始める。
1球目から200ヤード先の網に鋭く突き刺さった。
「やっぱりすごい!」と打球に見惚れてしまう。
「凄いですねえ。300ヤードは行きそう」
「いやいや、250ヤードがいいところですよ」
「長嶋さんが250ヤードなら、私は200ヤードしか飛ばないことになってしまう」
世紀のスーパースター長嶋茂雄さんのドライバーから繰り出されるスーパーショットに驚き、思わず後ろから話しかけてしまった。
「こちらのメンバーさんですか」
「ハイ、そうです」
「随分、お若いですね」
世評とは違って、折り目正しい人だ。
打つのをやめ、こちらを振り向き正対して話してくれるから感激だ。
言葉遣いも実に丁寧だった。
会員だったゴルフ場の開場記念杯が行われた日のことだ。
朝の練習場での一コマだが、ボールを打っている者は他に誰もいない。
長嶋茂雄さんはゲストとして参加し、ゴルフ場のオーナーと一緒にラウンドするのだという。
政界や野球界に隠然たる影響力を持つS氏がオーナーだった。
研修生が太ももの外側にピタリと両手をくっつけ、直立不動で二人の会話を聞いている。
どう見ても10代だから、長嶋さんの知名度と威光たるや凄いのだと改めて感心した。
もっと話していたかったが練習の邪魔をしてはいけないので、それから二言ほど言葉を交わしてボールに向き直った。
しばらくして、その研修生が「長嶋さん、ボールをお持ちしましょうか」と聞く。
「うーん、そうだね、じゃあ二カゴもらおうか」
研修生は、ボールが山積みになった二カゴを打席の横に置いた。
「朝から、そんなに打つの」と思いながら、私はアプローチの練習をしていた。
すると、間もなく「もう、このあたりでいいだろう」と長嶋さんの甲高い声が聞こえる。
練習生が持ってきた山盛りの二カゴには、ほぼ手をつけていない。
この辺は、さすが長嶋茂雄さんである。
超マイペースなのは、世評通りだった。
「じゃ、メンバーさん頑張ってください」
一言残して、風のように去っていった。
長嶋茂雄の追っかけ、恐るべし!
開場記念杯のコンペは終わり、クラブハウスに隣接するホテルの大広間でパーティーが開催された。
ここでまた長嶋茂雄さんの恐るべき存在感を、まざまざと見せつけられることになったのだ。
灯りの落とされた会場へオーナーとゲスト3人が入場し、ステージ上に立った。
スポットライトを浴びる4人に、会場からどよめきが起こる。
いや、会場にいる人々の視線は、ほどんとが長嶋茂雄さん一人に集中していた。
どよめきも、長嶋さんの存在感に対してであった。
そんな空気が、ひしひしと伝わって来るのだ。
他のゲストだって並ではないのに。
一人は、昭和の大スター小林旭さんで、もう一人は『才媛美人』の名をほしいままにした、参議院議員の山東昭子さんだ。
この二人がかすんでしまうのだから、もう何をかいわんやである。
表彰式も終わり歓談に入ると、一緒にラウンドしたご婦人が隣の席から興奮気味に話しかけてきた。
「今朝、長嶋さんと話したんでしょ!ちょっと聞いてきてよ、来シーズン巨人の監督に復帰するかどうか」
「私は立教大学で長嶋さんの1年後輩なの。1年の時から、ずーっと長嶋さんの追っかけやっているのよ。もちろん今も」
一気にまくしたてる。
眼鏡の奥の目は真剣そのものだ。
愛知県でゴルフ場を経営しているというご主人はその隣に座って、表情一つ変えず黙々と料理を口に運んでいる。
私も人後に落ちない長嶋ファンであるが、いわゆる充電中だった長嶋さんの巨人軍監督復帰について、この時点では全く情報を持っていなかった。
ご婦人がどんなにまくしたてようとも、「まさか今回はないだろう」が本心だったのだ。
また、そんなことを聞きに行けるような会場の雰囲気でもなかった。
例え聞いたとしても、マル秘中のマル事項だ。
まともに答えるわけがないのだ。
それから1週間ほども過ぎたころだったろうか。
私は新幹線に乗るため、朝早く東京駅の改札をくぐった。
売店の最前列に並ぶスポーツ新聞の特大見出しが目に飛び込んできた。
「長嶋茂雄氏、ジャイアンツの監督へ復帰!」
思わずその場に立ちつくしてしまった。
「長嶋茂雄の追っかけ、恐るべし!」
1992年、季節が初秋から中秋に移る頃だった。
『ジュリアナ東京』の閉店まで2年弱、バブル経済の崩壊が始まっていた。