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名古屋ゴルフクラブ和合と中日クラウンズ|歴史と名勝負ガイド

ゴルフプレー

中日クラウンズと言えば名古屋ゴルフ倶楽部和合コース。

日本のゴルフファンなら、誰もがそう連想するでしょう。

 

その逆もまた然り。

名古屋ゴルフ倶楽部和合コースと中日クラウンズは、もはや切っても切れない関係です。

 

この記事では、名古屋ゴルフ倶楽部和合コースの歴史、中日クラウンズの大会概要、語り継がれる名勝負。

 

そして青木功、ジャック・ニクラウス、ジャンボ尾崎、石川遼ら伝説のプレーヤーたちが残した軌跡まで、網羅的に解説します。

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名古屋ゴルフ倶楽部和合コースとは?|日本屈指の戦略性を誇る名門コース

名古屋ゴルフ倶楽部は1929年(昭和4年)に創設されました。

愛知県で二番目に誕生したゴルフ場です。

 

ただし、最初にオープンした東山ゴルフ倶楽部はすでに廃止されています。

したがって、愛知県では現存する最も古いゴルフ場ということになります。

 

愛知県愛知郡東郷町和合に位置する「和合コース」は、短くもタフな設計で知られ、飛距離より高い精度のショットを求められるコースです。

 

フェアウェイは狭いうえ、グリーンは小さく傾斜がきついため、ショットメイキングの正確性が何より重要になります。

 

ティーショットでフェアウェイを外せば即ピンチ。

小さな砲台グリーンは硬くて速い。

 

ショットもパットも繊細さが必要。

簡単にはバーディが取れないレイアウトなのです。

 

そんな和合は「我慢と集中力」のコースとも言われ、多くのプロゴルファーが「日本一気の抜けないコース」と口を揃えます。

名古屋ゴルフ倶楽部和合コースのヤーデイジ

グリーン種別 PAR Blueティー Whiteティー Goldティー Redティー
Cグリーン 70 6,557yd 6,247yd 5,935yd 5,634yd
Nグリーン 70 6,410yd 6,098yd 5,752yd 5,452yd

設計者:大谷光明

公式ホームページ

中日クラウンズとは?|日本最古級の歴史あるトーナメント

中日クラウンズ第1回大会の開催は1960年(昭和35年)で、日本男子ツアーにおける先駆者的なトーナメントです。

 

中日新聞社と中部日本放送(CBC)が主催し、一貫して名古屋ゴルフ倶楽部和合コースを舞台としている、極めて珍しい大会です。

 

この点においては、あのマスターズとオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブを彷彿させます。

 

年ごとに会場を変える大会もある中、60年以上にわたって「和合でしか開催されない」という伝統を守ってきたこは、一層歴史に厚みを加えているのです。

 

さらには、中日クラウンズ事務局が名古屋ゴルフ倶楽部和合コース内に置かれていることも、非常に珍しい例だと言えるでしょう。

 

優勝者には、賞金だけでなく「中日クラウンズ王者」の称号が与えられ、その名は歴代チャンピオンとしてクラブハウスの壁に刻まれるのです。

 

このようないくつかの特徴を見ていくと、「和合と中日クラウンズは一体である」という結論に行きつきます。

 

中日クラウンズ公式X

和合とクラウンズが生み出す“名勝負”の数々

名古屋ゴルフ倶楽部和合コースは、ゴルフ場そのものがドラマを作る舞台装置となっていて、中日クラウンズでは幾多の名勝負を演出してきました。

 

池越えの17番パー3は「魔の17番」とも称され、数々のドラマを生み、勝負の行方を左右する重要なホールとなっています。

 

砲台グリーンの周囲をバンカーがガードし、グリーンを外すとアプローチショットが難しい。

風の影響を受けやすく、プレーヤーがクラブ選択に悩むホールでもあります。

 

最終18番パー4も、決してやさしいホールではありません。

2023年クラウンズ最終日は、平均スコア4,311と18番が最も難しいホールとなっていました。

 

右サイドにあるバンカー方向を狙えば距離を稼げますが、グリーン付近まで続く浅いOBラインがプレッシャーとなります。

 

安全策として左サイドのNグリーン方向を狙うのが一般的ではあります。

だが、フェアウエーを外すとアゴの高い2つのクロスバンカーが、ボールを待ち構えています。

 

本当に気を抜けません。

終盤になるほどプレーヤーは神経をすり減らすのです。

 

クラウンズの最終日では、過去この2ホールで幾度となく逆転ドラマが生まれています。

手に汗握る試合展開は、常に観客席を満員にします。

 

テレビ中継の視聴率も安定して高く、国内トーナメントの中でも特別な存在として全国のゴルファーに認知されているのです。

語り草となった大会①|ジャンボ尾崎『62』石川遼『58』の衝撃

1977年大会で、ジャンボ尾崎が3日目に何と、「62」のスコアをマーク。

これは当時、和合のベストスコアであり、ジャンボの爆発的プレーとして語り草になっています。

 

この大会で、彼の「力と技の融合」が一気に注目され、後のゴルフ界を牽引するカリスマ誕生の象徴的場面ともなりました。

 

しかし、2010年5月2日の事でした。

これを上回る驚くべき世界記録が誕生したのです。

石川遼が世界を驚かせた「58」|中日クラウンズ2010最終日

2010年5月2日、中日クラウンズ第51回大会最終日のことです。

名古屋ゴルフ倶楽部和合コースにて石川遼「58」という驚異的なスコアをマークします。

 

世界6大ツアー(米国、欧州、オーストラリア、アジア、南アフリカ、日本)における18ホール最少ストローク記録を更新したのです。

 

しかも、当時18歳7ヶ月だったので、世界のゴルフ界に衝撃が走ります。

石川遼「58」ラウンド詳細

  • 日時:2010年5月2日(最終日)
  • スコア:12バーディ、ノーボギーの「58」
  • 前半ハーフ:28(大会新記録)
  • 後半ハーフ:30
  • 通算スコア:13アンダー(2位に5打差)
  • 年齢:18歳7ヶ月(大会史上最年少優勝)
  • 達成記録:
    • 18ホール世界最少ストローク(当時)
    • 大会最多バーディ数(12)
    • 大会最多の6打差逆転優勝
    • ギネス世界記録認定

世界と日本ゴルフ界に与えた衝撃

石川選手自身も「夢の中でプレーしているようだった」と振り返ったこのラウンド。

ショット、パター、マネジメントすべてが完璧。

見守ったギャラリーや関係者、世界中のゴルフメディアに衝撃を与えました。

語り草となった大会②|青木功 vs 中嶋常幸の死闘、1983年

1983年大会では、青木功と中嶋常幸の一騎打ちが注目を集めました。

 

お互い譲らぬ展開の中、グリーン周りでの技術と冷静なプレーが求められ、観客は固唾を飲んで見守ります。

 

最終日、最終ホールでパーセーブを決めた青木が勝利し、「和合=青木」のイメージを不動のものにした試合でした。

青木功が中日クラウンズで強かった理由とは?|優勝回数と和合適性

青木功は中日クラウンズで通算5勝を挙げています。

名古屋ゴルフ倶楽部のどこが青木のゴルフに合っていたのでしょう。

 

和合の特徴である「フェアウェイの狭さ」「グリーンの硬さ」「正確な距離感」を求められる環境が、青木のショット力とパター技術にぴったりマッチしていたのです。

 

また、青木は精神力が強く、1ホールごとに集中し、それを持続できるタイプでした。

まさに“我慢のゴルフ”を得意とした彼にとって、和合は理想の舞台だったのです。

ジャック・ニクラウスが和合で魅せた|1973年の伝説の大会

ゴルフ界の伝説・ジャック・ニクラウスが中日クラウンズに初めて出場したのは、1973年の大会です。

 

圧倒的な精度の高いショットで日本のトップ選手たちを寄せ付けず、世界との実力差をまざまざと見せつけたのでした。

 

この時のニクラウスの衝撃は大きく、当時の若手プロたちに「世界のゴルフを知る」強烈な機会を与えました。

 

日本のゴルフ界が、世界基準を意識するようになったきっかけの試合とも言われています。

どんな世界も、超一流から学ぶことは多いのです。

名古屋ゴルフ倶楽部和合コースが中日クラウンズを特別にする理由

トーナメントの舞台が固定されているという事実は、それ自体が「伝統の証」となります。

選手たちは毎年“和合のリベンジ”を心に誓い、成長の証を刻みにやって来ます。

 

中日クラウンズという大会は、単なる勝敗を競うだけでなく、「歴史の重み」「記録の積み重ね」といった趣を見てとれるからこそ、多くのファンの心をつかんで離さないのです。

和合コースの住所「ドンドロ」の由来と意味

名古屋ゴルフ倶楽部和合コースの正確な住所は愛知県愛知郡東郷町和合ドンドロ35−1です。

とてもユニークな地名です。

 

地名の由来は、現在ゴルフ場になっている一部の土地が、かつて「沼地のようなドロドロ」であったことから「ドンドロ」と呼ばれていて、それが地名になったのでしょう。

 

また、この地域は比較的早くから稲作が行われていて、ゴルフ場の一部は江戸時代の大名が所有していた御林料だったようです。

 

ドンドロは一部区域の事だったのですが、いつしかゴルフ場が造成された土地全体の総称となったと考えられています。

 

近隣には「ギロウ」「ジ子ンゴ(じねんご)」「濁池」など、ユニークな住所が現在も存在します。

これらの地名もドンドロと同じく、地形や地質などに由来するのでしょう。

まとめ|名古屋ゴルフ倶楽部と中日クラウンズは、日本ゴルフ史の生き証人

名古屋ゴルフ倶楽部和合コースと中日クラウンズ

この2つは、それぞれの魅力が融合し、日本プロゴルフ界のアイコン的存在になっています。

 

若手選手が台頭する舞台でもあります。

今後も、多くの名選手が和合で歴史を刻んでいくことでしょう。

 

そして観客もまた、運命を分ける名物ホール、小さくて硬いグリーン、顎の高いバンカーで繰り広げられる新たなドラマに魅了され続けるはずです。