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全英オープンゴルフのすべて|歴史・優勝者・開催コース・日本人選手の活躍

ゴルフプレー

全英オープンゴルフ(The Open Championship)は、ゴルフ四大メジャー大会の中でも最も歴史が古く、世界で最も権威あるトーナメントの一つです。

 

イギリスでは敬意と親しみを込めて、ジ・オープン(The Open )と呼ばれています。

 

1860年にイギリス・スコットランドで第1回大会が開催され、以来165年以上にわたってゴルフ界の頂点を決める舞台となっています。

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全英オープンゴルフの歴史

全英オープンゴルフ(The Open Championship)は、1860年10月17日、スコットランドのプレストウィック・ゴルフクラブにて第1回大会が開催されました。

 

当時、ゴルフ界で絶対的な存在だったアラン・ロバートソンの死を受け、「新たなゴルフチャンピオンを決める」ために設けられたのが始まりです。

 

第1回大会はわずか8人のプロフェッショナルゴルファーによる競技で、36ホール(12ホール×3周)で争われました。

 

初代チャンピオンとなったのはウィリー・パーク・シニア

 

彼は当時、木製クラブと革張りボール(ガッタパーチャボール)を駆使し、ゴルフ史にその名を刻みました。

 

当初の全英オープンは、スコットランド、イングランド、アイルランドなど、英国諸島内の選手が中心でした。

 

コースもスコットランドに集中し、参加者もプロフェッショナルに限られていましたが、時代が進むにつれてアマチュア選手の台頭も目立つようになりました。

 

20世紀初頭には、アメリカからも強豪選手が参戦し始め、ゴルフの国際化が一気に進みます。

 

特に1913年の全米オープンでアマチュアのフランシス・ウィメットが優勝すると、アメリカ国内でのゴルフ人気が爆発。

 

やがて全英オープンも、アメリカ勢がタイトルを狙う舞台となりました。

 

以後、全英オープンは「ゴルフ世界一決定戦」としての色合いを強め、リンクスコース特有の難易度とともに、世界中のゴルファーにとって夢の舞台であり続けています。

 

なお、2025年全英オープンは7月17日(木)~20日(日)までロイヤルポートラッシュGC(北アイルランド)で開催されます。

 

全英オープン公式ホームページ(日本語版)

全英オープンゴルフの過去の主な優勝者と最多優勝者

最多優勝者

ハリー・バードン(6回)

ジェームズ・ブレイド(5回)

トム・ワトソン(5回)

ピーター・トムソン(5回)

その他、歴史に残る優勝者

ジャック・ニクラス(全英3勝、メジャー通算18勝)

タイガー・ウッズ(全英3勝)

セベ・バレステロス(スペインから世界を驚かせた英雄)

最も多く全英オープンを開催しているゴルフ場

セントアンドリュース・オールドコース(スコットランド)が最多開催を誇ります。

通称「ゴルフの聖地」と呼ばれ、全英オープンはここで29回以上開催されています。

全英オープンの複数回開催コース

セントアンドリュース・オールドコース

ミュアフィールド

ロイヤルリバプール(ホイレイク)

ロイヤルセントジョージズ

カーヌスティ・ゴルフリンクス

ロイヤルトゥルーン

 

これらのコースはリンクス特有の強風、起伏、深いバンカーで、世界のトップ選手を苦しめてきました。

全英オープンゴルフにおける日本選手成績まとめ

これまで多くの日本人選手が全英オープンに挑戦してきました。

その年ごとの主な成績をまとめます。

 

大会会場 選手名 順位 備考
1978年 セントアンドリュース 青木功 12位タイ 日本人初のトップ15入り
1981年 ロイヤルセントジョージズ 中嶋常幸 4位タイ 最終日リーダーボード上位を争う
1986年 ターンベリー 中嶋常幸 3位タイ 日本人過去最高位に
1998年 ロイヤルバークデール 尾崎将司 30位タイ 「世界の尾崎」健闘
2002年 ミュアフィールド 丸山茂樹 5位 バーディ合戦で存在感
2013年 ミュアフィールド 松山英樹 6位タイ 全英デビュー戦での快挙
2022年 セントアンドリュース 松山英樹 14位タイ 一時優勝争いに絡む

 

中でも1986年の中嶋常幸と、2013年の松山英樹の活躍は、今なお日本ゴルフ界の記憶に深く刻まれています。

全英オープンゴルフ伝説の大会

全英オープンの歴史は、数々の名ホールと劇的なドラマによって彩られてきました。

特に記憶に残る瞬間をピックアップします。

セントアンドリュース・オールドコース 17番「ロードホール」

ゴルフ界で最も有名なホールの一つ。

パー4ながら非常に難しく、ティーショットはホテル越え。

 

グリーン手前には深くえぐれた「ロードバンカー」が待ち構えます。

1995年、ジョン・デイリーがこのホールでパーセーブし、プレーオフを制しました。

ターンベリー 18番「デュエル・イン・ザ・サン」

1977年、トム・ワトソンとジャック・ニクラスが最終ホールまでデッドヒートを展開。

二人のフェアプレー精神と死闘は、「太陽の下の死闘」として今も語り継がれています。

カーヌスティ・ゴルフリンクス 18番「バリー・バーン」

1999年、ジャン・ヴァン・デ・ベルデが最終ホールで大胆すぎる攻めに出た結果、バリー・バーン(小川)に打ち込み、自滅。

世界中を驚かせた「カーヌスティの悲劇」が生まれました。

ロイヤルリバプール 18番(ホイレイク)

2006年、タイガー・ウッズが冷静沈着なマネジメントゴルフで、最終ホールまで安全策を貫き、2位に大差をつけて優勝。

父アール・ウッズの死後、感涙する姿が印象的でした。

ミュアフィールド 13番ホール

2002年大会、丸山茂樹がこの難関ホールでバーディを奪取し、一気にリーダーボードを駆け上がった名シーン。

日本ゴルフファンにとって忘れられない瞬間です。

その他に全英オープンゴルフで起きたドラマチックな出来事

グレッグ・ノーマン、1986年大会で悪天候の中、唯一アンダーパーをマークして優勝。

タイガー・ウッズ、2000年セントアンドリュース大会で圧勝し、キャリアグランドスラム達成。

2023年、ブライアン・ハーマンが悪天候の中で一度も首位を譲らず完全優勝。

まとめ

全英オープンゴルフは「世界最古にして最も過酷な大会」です。

リンクスコース独特の風と天候に翻弄されながらも、偉大な選手たちが伝説を築いてきました。

今後も日本選手の挑戦に注目し、歴史的な瞬間に立ち会えることを楽しみにしたいものです。