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舘ひろしゴルフ場で目撃した驚愕の姿!新事務所設立と気になる今後は

南の島 ゴルフ名門コース

舘ひろしが新事務所を設立した。

記者発表では映画に対する熱い思いを静かに語った。

 

思い出すのはゴルフ場で会った若き日の彼の姿。

場所は千葉県・市原市に当時オープンしたばかりの米原ゴルフ倶楽部。

 

南欧風の洒落たクラブハウスとコテージ、そしてコースに配した大きな池が特徴のゴルフ場で、舘ひろしの礼儀正しさを目撃して驚いた記憶がよみがえる。

 

アブナイ刑事

 

おそらく師匠・渡哲也の影響を大きく受けたであろう、舘ひろし

裕次郎・渡・舘と受け継がれてきた男の系譜も、今は舘一人で背負っている。

 

彼には新事務所で、後継の俳優を育ててもらいたい。

裕次郎、渡、舘と続いた、律義と礼儀を引き継ぐ好漢を。

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ゴルフ場の広い湯船で無邪気に泳いだ舘ひろしが、レストランで豹変?

ハワイのゴルフ場

我々のすぐ後ろを二人でプレーしていた舘ひろし

すぐ後ろの組といっても平日だったから入場者が少なくスタートの間隔がたっぷり空いていたので、コースで見かけることはあまりなかった。

 

当時は新設のゴルフ場が高額会員募集を競い合い、金満クラブハウスを自慢し、プレィフィが高いほど名門コースという風潮があった。

 

いくらバブル期とは言え、平日で3万円のプレィフイでは来場者は限られる。

これを喜んだのが一部の著名人や芸能人だった。

 

お金は唸るほどあるし、スポンサーにも事欠かない。

人目を気にせず好きなゴルフに興じられるのだから、お忍びにはもってこいだった。。

 

お忍びのはずが、調子に乗りすぎて大はしゃぎ。

その結果、コースへの出入り禁止や会員の権利をはく奪され、退会処分になった芸能人、有名人もいた。

 

特に『お笑い芸人』のジャンルはゴルフ場の経営側やメンバーから顰蹙を買い、敬遠された。

お笑い芸人すべてが嫌われたわけではないが、大物芸人といわれる何人かは特に評判が悪かった。

 

コース内での悪ふざけが過ぎる上に高額な賭けゴルフが問題視されたのだ。

大金のやり取りをクラブハウス内の人目につくところで、大っぴらにやるのだからたまったものではない。

 

出入り禁止や除名処分は所属事務所が必死に火消しに走り、体面を重んじるゴルフ場側の思惑もあって、あまり表には出なかったがこの類の話は一度や二度ではなかった。

 

こういった連中がテレビで世間のマナーが悪いと切り捨て、政治の不透明さを批判し説明責任を追及するのだから、世の中変われば変わるものだ。

その分こちらは、ますますテレビから遠ざかってしまうのだが。

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さて、我が愛する舘ひろしであるが、ルールや礼儀にうるさかった石原軍団の一員。

彼はそんな非礼、無礼とは無縁だった。

 

二人でプレーしていたというが、舘の相手は誰だって?

それは、類い稀なるあなたの豊な想像力にお任せします。

 

プレーを終え、私がたった一人で広い湯船につかっていると、すぐ後ろの組で回っていた舘ひろしが浴場へ入ってきた。

 

彼は笑みを浮かべて私に目配せをした。

なんと、湯船の中を素っ裸でゆっくり泳ぎ始めたのだった。

 

マルチン・ルターならぬ、フルチン・ヒロシの無邪気さに私は笑うより他なかった。

そして、驚いたのがその後のレストランだった。

 

レストランでビールを飲んでいると舘ひろしが階段を昇って来た。

入り口付近でミッキー安川という先輩タレントが食事をしていた。

 

舘は横に立ちどまり律義にお辞儀をした。

嬉しそうに先輩が話しかける。

 

テーブルが離れていたので内容は聞こえないが、かなり長く話は続いた。

その間、舘ひろしはずーと直立不動だった。

 

両手を太股にぴたりとつけ、返事をする時だけは頭が少し動くがそれ以外は不動の姿勢を貫いた。

先輩にとってこれほどうれしい後輩はいないだろう。

 

何という礼儀正しさ。

私は目を見張りながら彼を見つめ、今でもはっきりとその姿を記憶している。

 

舘ひろしは高校時代ラグビー部に所属し、元々体育会系ではあったがこの時は40歳直前。

確か私と同年代だから、あの年齢で先輩に対するあの礼儀。

 

これは体育会系を超えて、先輩であり恩師でもある渡哲也の影響をかなり大きく受けていたのではないだろうか。

 

渡哲也は映画界にデビューしたばかりのころ、石原裕次郎の律義さと気遣いに感激して自分もそれを見習ったのだという。

 

大スターとしての地位を不動のものにしても、決して周囲に偉ぶらなかった。

スタジオや控室に共演者が挨拶に来るとどんな若手に対しても、きちんと立ち上がり丁寧に挨拶を返したのだという。

 

渡は実に律義な男だった。

厳しかったが同じくらい優しさと気遣いもあったという。

 

渡哲也逝去の一報を受けてショックのあまり、コメントすら出せなかったほど慕っていた舘ひろしだ。

渡の律義さ、礼儀正しさを引き継いでいないはずがない。

 

ゴルフ場のレストランで見せた先輩に対する舘の矜持は、渡哲也の教えに因るところでもあったのだろう。

 

それにしても凄い俳優だった、渡哲也は。

幾たびも病魔と闘いながらいつも毅然と前を見据え、威厳を保つ続けた人だった。

哀感ただよう超一級品の後ろ姿も忘れ難い。

 

ちなみに石原裕次郎、渡哲也、舘ひろしがそろって出演し、石原プロの存在を全国に知らしめたのが、テレビドラマ『西部警察』。

 

約5年間の撮影で訪れたロケ地が4500ケ所。

封鎖した道路40500ケ所。

 

爆破させた自動車車両は約5000台に、飛ばしたヘリコプター600台。

壊した家屋、ビルは320軒で使用した火薬の量4.8トン。

 

使用したガソリン約12000リットルだという。

全238話が撮影・放送されて、負傷者は数人出したものの死者はゼロだった。

 

日本のドラマ・映画史上空前絶後のスケールだった。

ああ、それにしても懐かしい『愛門軍団』が。

 

少し早すぎたが諸行無常の世だ。

別れはいつかやってくる。

素晴らしい男、渡哲也を決して忘れない。

 

石原裕次郎⇒渡哲也⇒舘ひろしと受け継がれてきた、石原軍団が誇る鉄の規律と礼儀と男気。

舘ひろしよ、タスキを誰に引き継ぐのか?

 

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舘ひろしが新事務所設立で裕次郎、渡の名を挙げ、映画への思いを熱く語った!

西部警察 PART‐III | ドラマ | GYAO!ストア

我らが舘ひろしは自分を育ててくれた石原裕次郎渡哲也を決して忘れることはない。

そして、この人抜きでは石原プロを語れない小林正彦専務も合わせた3人が、映画に注いだ情熱を。

 

好漢・舘ひろし(70)が2021年3月17日、新たに芸能事務所『舘プロ』を設立したと発表した。

4月1日から所属俳優として活動するが、近い将来映画製作に参加したいと表明した。

 

2021年1月16日に約40年間在籍した石原プロモーションが解散して2か月が経った。

舘は気分一新、自らの名前を冠した事務所で新たな一歩を踏み出す。

 

新事務所での構想を明かしながら、自身の名を冠した事務所名には照れていた。

「なんか恥ずかしいな」

 

「自分のやりたい企画や映画の製作委員会に入って、提案などをしていきたい」

照れたあとは、映画にかける熱い思いを静かだが、はっきりと口にした。

 

石原プロ解散発表後、他事務所からの誘いは幾つかあったが、昨年末に事務所設立を決意したのだという。

 

その、大きな理由として偉大な先輩三人の名を挙げた。

石原裕次郎さん(享年52)、渡哲也さん(享年78)、石原プロ名の物専務だった小林正彦さん(享年80)だ。

 

彼らが映画製作にかけた熱き思いを舘は決して忘れない。

『映画』という言葉を口にする時、三人の顔が浮かぶほどは先輩たちを尊敬し、崇拝している。

 

「映画を作りたい、先代たちの思いを継ぎたいと思った。

大仰な映画は創れなくとも、裕次郎さん、渡さん、小林さんの夢の灯を守りたい」

 

舘ひろしの身体には石原プロイズムの血が脈々と流れている。

石原裕次郎・小林専務から渡哲也に受け継がれた魂を引き継ぐのは、自分しかいない。

 

そんな想いと自負が舘にはあるのだろう。

今後の活躍を大いに期待したい。

 

スタッフは舘を含め5人。

舘ひろし自身も設立に携わったが、社長にはならない。

 

「社長はやらない。社長って呼ばれるのは恥ずかしいし」

あくまで所属俳優第1号として活動する。

 

舘が社長に指名したのは20年来の友人、浅井武士氏。

新事務所は、以前から石原プロと縁が深い芸能プロダクション『テアトルアカデミー』の一室を借りて始動。

 

5月に撮影するドラマが、舘プロでの舘ひろし初仕事になる。

現在、事務所の所属タレントは舘ひろし1人だが、将来的には若い人材も育成していく方針だ。

 

石原プロは解散時、所属タレントは全員男性だったが、舘は語る。

「女の子を入れるのもいいかもね。事務所として力を付けたら、映画に携わりたい若い人に入ってきていただきたい」

 

舘ひろし

 

舘が椅子に座るシルエットをあしらった舘プロのロゴは、広告制作会社『ライトパブリシティ』の栗本知樹氏が担当。

 

同社とは舘が1985年に大塚製薬『ポカリスエット』のCMに出演した時から36年の付き合いがあるという。

 

舘ひろしはは話す。

「シルエットはなくても良かったけど、すごくオススメされたから。推されたら断れないから」

 

好漢・舘ひろしよ、君の血を引き継ぐ俳優を是非とも育ててほしい。

裕次郎が渡を育て、渡が君を育てたように。

 

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舘ひろしの奥さんってどんな人?金髪の白人好きはホント?

 

学習院ミスコン

舘ひろしの奥さんはあまり知られていませんね。

私生活についてはあまり語らない舘だから、いつ結婚したか知らない男性ファンもいるようです。

 

舘ひろしの奥さんは幸子さんで、名家の出身だ。

祖父は初代TBS会長を務め、元『日本商工会議所会長』も歴任した財界の大立者。

 

父は『丸紅』の元常務。

幸子さんは舘ひろしの13歳下で、学習院大を卒業したお嬢さんで才媛。

 

その後、大手航空会社で客室乗務員をしていました。

二人はそのころ出会いました。

 

交際が10年の長きに及び、一度は別れたこともあったようです。

幸子さんのお父さんが結婚に強く反対したと言われています。

 

舘の職業が俳優だったことに表向きの理由はありますが、女性関係が一因だった可能性が高い。

それについて、実は思い当たる節もあります。

 

まあ、舘はモテましたからね。

若いころの舘は、金髪の白人好きでも有名でした。

 

実は前章のゴルフ場で会った話。

舘は二人でプレーしていたと書きましたが、一諸に回っていたのは白人の美人さん。

 

青い目をした、まさしく異人さんでした。

髪の色は金髪だったかどうかは、はっきり思い出せませんが、かなり若い娘でした。

 

私と舘は同年代で、当時は30代後半の1990年前後のこと。

舘ひろしと幸子さんが結婚したのは1996年ですから、結婚前だったのは間違いありませんね。

 

だが、交際期間が10年というから微妙な時期。

別れていた時期かもしれませんが。

 

風呂場では二人っきりだったので、ちょこっと会話したのですが、私の不用意な言葉で舘さんが突然黙ってしまいました。

 

「一緒に回っていた女性、キレイな方ですね。

よく二人でゴルフやるのですか?」

 

不機嫌な様子になり、マネージャーらしき人物を浴室の出入り口から呼んで何か話していました。

そのご、軽くシャンプーしてそそくさと湯殿を出て行ったのです。

 

まあ、昔の話です。

でも、なんだかとても懐かしい。

 

ちなみに、奥様にはヌカミソ臭くなって欲しくないので『妻には家事をあまりやらせない』と語っていた舘。

 

舘ひろしと幸子さんの間には、お子さんはいません。

優雅な二人の生活ぶりが目に浮かぶようです。

 

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