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神戸ゴルフ倶楽部──日本最古のゴルフ場、その歴史に迫る

ゴルフ名門コース

六甲山上の爽やかな風の中に、日本ゴルフ史の原点が息づいています。

神戸ゴルフ倶楽部は、1903年5月24日(明治36年)に開場した日本最古のゴルフ場。

 

ここから、日本全国にゴルフという文化が広まっていきました。

本記事では、その誕生秘話から現在に至るまでの歴史をたどります。

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神戸ゴルフ倶楽部の誕生

19世紀末、神戸は開港によって国際都市として発展を遂げていました。

 

そこに住んでいたイギリス人貿易商アーサー・ヘスケス・グルームは、母国のスポーツであるゴルフを日本でも楽しみたいと考えました。

 

当時、平地は限られていたため、グルームは避暑地として人気だった六甲山に目をつけます。

 

山頂に自らの手で草を刈り、仲間とともに4ホールのゴルフコースを造成。

これが日本初のゴルフ場の始まりでした。

神戸ゴルフ俱楽部は1903年、正式オープン

1903年5月24日(明治36年)、9ホールの本格的なコースとして神戸ゴルフ倶楽部は正式オープン。

さらに翌年には18ホールに拡張され、急速にゴルファーたちの社交場として人気を集めていきます。

 

この時代のゴルフは、まだ限られた外国人コミュニティ中心のものでしたが、

神戸ゴルフ倶楽部の開場は、日本人にもこのスポーツが知られるきっかけとなりました。

神戸ゴルフ俱楽部の特徴と伝統

神戸ゴルフ倶楽部は、六甲山の自然な地形を活かした設計が大きな特徴です。

 

パー61、全長約4000ヤードと、現代のコースに比べると短めですが、狭いフェアウェイ、小さなグリーン、絶妙なアンジュレーションがプレイヤーを悩ませます。

 

また、開場以来の伝統として、

・カート使用禁止(歩いてプレーすること)

・クラブ本数制限(最大10本)

が今でも厳格に守られています。

 

営業は4月中旬から11月中旬で営業中の休日はありません。

コースを守り、自然と共生する精神は、神戸ゴルフ倶楽部の大切な哲学となっています。

神戸ゴルフ倶楽部のメンバー構成

神戸ゴルフ倶楽部は、1903年の開場以来、伝統ある完全な会員制クラブとして運営されています。

どのような人がメンバーか

メンバーには、以下のような人々が多く所属しています。

  • 名門家系に連なる人物(親子代々の継承)
  • 大手企業の経営者や役員クラス
  • 医師、弁護士など社会的信用の高い専門職
  • 大学教授や文化人など、知的エリート層
  • 地域社会に貢献する立場にある人物

入会条件

入会には非常に厳格な審査があり、原則として現役メンバー2名以上の推薦が必要です。

単なる経済力だけでは入会できず、品位・人格・伝統を尊重する姿勢が重視されます。

伝統と格式を守る姿勢

神戸ゴルフ倶楽部は、単なるゴルフ場ではありません。

「伝統を守る」という強い意志のもと、メンバー同士の礼儀や品位も非常に重視されています。

 

そのため、カジュアルなクラブとは一線を画し、厳格なドレスコードを守り、現代においても独特の気品と格式を保ち続けています。

神戸ゴルフ俱楽部が日本ゴルフ界へ与えた影響

神戸ゴルフ倶楽部は、日本におけるゴルフの普及に多大な影響を与えました。

1908年には、神戸ゴルフ倶楽部と横浜ゴルフクラブとの間で、日本初のクラブ対抗戦が実現。

 

さらに、日本初のプロゴルファー・福井覚治(ふくい かくじ)も、この神戸ゴルフ倶楽部で育った人物です。

 

彼はのちに国内外で活躍し、日本のゴルフ技術向上に貢献しました。

 

このように、神戸ゴルフ倶楽部は「日本ゴルフ界のゆりかご」と称されるほど、日本のゴルフ史に大きな足跡を残してきたのです。

 

では、神戸ゴルフ倶楽部がオープンした1903年(明治36年)とはどんな時代だったのか?
次章では、当時の国際情勢、国内の世相などをお伝えします。

明治36年(1903年)の時代背景と世相

1.国際化と近代化が進んだ日本

明治時代後期の日本は、「富国強兵」「殖産興業」を国家目標に掲げ、西洋式の近代国家をめざして猛烈な改革を続けていました。

 

特に明治30年代には、鉄道の全国整備、近代工業の発展、義務教育制度の確立、軍備拡張などが急速に進みました。

 

欧米文化への憧れと模倣が生活文化にも浸透し、ゴルフのような西洋の紳士スポーツが紹介される素地が整っていきました。

2.外交緊張と軍事拡張の時代

一方で国際情勢はきわめて緊迫していました。特にロシア帝国との対立が深刻化し、朝鮮半島や満州地域を巡っての覇権争いが表面化していました。

 

明治36年は「日露戦争前夜」の空気が漂い、国内では軍備拡張への機運が高まっていました。

3.庶民生活と都市文化の成長

都市部では電灯、電話、鉄道網が普及し、洋服や西洋料理も一般化していきました。

新聞・雑誌・文学も隆盛を迎えています。

 

この年、東京では山手線が「汽車線」として運行を開始し、帝国劇場の建設計画も進行していました。

 

また、浅草六区を中心とする大衆文化もにぎわいを見せ、庶民の間に「余暇を楽しむ」意識が芽生えつつありました。

4.神戸という土地の特別性

1868年に開港した神戸は、外国人居留地が整備されたことで、多国籍文化が花開いた特別な都市でした。

 

イギリス人を中心とする外国人たちが、紅茶文化、英国式庭園、乗馬、クリケットなどの母国文化を持ち込み、その延長線上で「ゴルフ」も自然に根づいていきました。

明治36年のまとめ

明治36年は、国力が強化され社会が急速に近代化する一方で、日露戦争前夜の張り詰めた空気が流れる時代でした。

 

そんな中、国際都市・神戸で、アーサー・ヘスケス・グルームらが創設した神戸ゴルフ倶楽部は、日本に初めてゴルフ文化を根づかせる大きな役割を果たしたのです。

神戸ゴルフ倶楽部の現在

現在も神戸ゴルフ倶楽部は、当時の趣を色濃く残したまま運営されています。

 

美しいクラブハウスは、神戸市街や瀬戸内海を一望でき、特別な空間としてプレイヤーたちを迎えます。

 

メンバー制クラブであるため基本的にビジターだけでのプレーはできませんが、毎年限られた機会に、公開イベントやチャリティマッチが行われることもあります。

 

ビジターとしてプレーするには、会員の同伴または紹介が必要です。

自然と伝統を守るその姿勢は、多くのゴルファーに尊敬され続けています。

まとめ

神戸ゴルフ倶楽部は、単なる日本最古のゴルフ場というだけではありません。

 

そこには、日本にゴルフ文化を根付かせようとした人々の情熱と、100年以上にわたる時間が刻まれています。

 

六甲山の風を感じながら歩くフェアウェイには、ゴルフというスポーツの原点と、本当の楽しさが今も息づいています。

 

日本ゴルフ史を語るなら、神戸ゴルフ倶楽部を抜きにしては語れません。

これからも、この特別な場所は、多くのゴルファーたちの憧れであり続けるでしょう。

神戸ゴルフ倶楽部 公式サイトはこちら