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小樽船見坂のオーバーツーリズムはラブレターが原因かも知れない!

小樽のゴルフ&観光

坂のまち小樽。

市街地の三方を山がとり囲んでいる。

 

険しい山々は海岸近くまで斜面を引きずっていて、平坦なのは埋め立てした土地だけだ。

だから小樽には有名な急坂がいくつもある。

 

中でも、小樽を代表するのが『船見坂』だ。

いま、その船見坂がオーバーツーリズムに悩まされている。

 

カメラを構える者とポーズをとる者が道の両端にあふれかえり、交通の妨げとなっているのだ。

道路中央で立ち止まり、写真撮影に夢中な観光客もいるから危ない。

 

オーバーツーリズムの主な原因は『Love Letter ラブレター』かも知れない。

観光都市小樽を代表する『船見坂』の現状と歴史をお伝えしよう。

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小樽の船見坂はラブレターでオーバーツーリズムになった?

最大15%の勾配を持つ船見坂は、小樽でも有数の坂だ。

旭展望台のある三角山麓から運河館の裏手まで、海に向かって真っすぐに下っている。

 

船見坂が行きつく運河館の目の前には小樽運河が静かに流れ、中央橋を渡ると粛然とたたずむ小樽港だ。

 

坂の中ほどを横切る国道5号線あたりから勾配が緩くなり、その国道を挟んで山側に三角市場、海側には中央市場が軒を連ねる。

 

三角市場はもうずいぶん前から観光客専用で、中央市場は1946年の組合結成以来、地元民の台所として親しまれてきた。

 

船見坂と国道が交わる交差点から、わずか150mほど札幌方面に歩くと、JR小樽駅にたどり着く。

まさに小樽の中心街にあり、交通は至便だ。

 

坂のてっぺんや途中から眺める風景も抜群だ。

 

眼下の小樽港と石狩湾はいつも二色の青にくっきりと色分けされ、右手には暑寒別山系が雄冬岬へと連なり、季節によって色合いを変えながら、しかし悠然とした佇まいを崩すことはない。

 

何と贅沢な景色だろう。

この穏やかな眺めは、一瞬のうちに浮世の煩悶を忘れさせる。

 

2024年春からは、小樽港第三号ふ頭にクルーズ船が停泊するようになった。

 

船見坂のほぼ真下にイギリス、イタリア、ポルトガル、スペイン、そして我が日本などの豪華客船を見ることができるのだ。

 

それでなくとも絶景なのにクルーズ船の豪華絢爛と異国情緒が加わると、あたりは途方もないロマンティックな雰囲気に支配されていく。

 

優雅、茫洋、泰然、郷愁、悠久、いろんな思いが入り混じる心の波動に耐えがたいほどの展望。

豪華客船の船出には哀愁の色さえ漂うのだ。

 

船見坂自体が観光客で雑然としても、船見坂から眺める風景は喧噪と無縁だ。

観光客が撮影スポットに選ぶのも無理からぬ話だろう。

 

この透き通った美景が広くバレてしまった今、オーバーツーリズムに悩まされるのは必然なのかもしれない。

 

しかし、オーバーツーリズムの原因は類まれな眺望だけではなく、映画の影響も否定できない。

 

船見坂はこれまでロケ地として多くの映画やドラマに登場してきた。

中でも映画『Love Letter』の影響が大きいと思われる。

 

映画は、2024年12月に急死した中山美穂さん主演で、1995年に公開されている。

 

中山美穂さんはアイドルだったころから韓国、台湾、タイ、香港など、東南アジア諸国で抜群の人気を誇っていたのだ。

中山美穂主演の『Lov letter』とはこんな映画だ!

神戸や長崎の人に「行ってみたい町はどこ」と聞けば、「小樽」と答える人が多い。

小樽の人に「親近感を持つ町」を聞くと、「長崎」「神戸」と答える人が多い、と聞いたことがある。

 

映画『Love Letter』は、小樽と神戸を舞台に展開するラブストーリーだ。

この映画では『手紙』が重要な役割を担っている。

 

いや、そもそも届く宛のない一通の手紙が配達されなければ、物語は始まらなかった。

 

国道として開発され現存しない住所へ送った手紙を、同姓同名の別人が受け取ったことで、ストーリーが動き出したのだ。

 

小樽で国道といえば5号線。

そう、国道5号線は船見坂と交わっているのだ。

 

『Love Letter』は1995年に公開された。

 

一人二役を演じた主演の中山美穂さんはブルーリボン賞、報知映画賞、ヨコハマ映画祭、高崎映画祭などで主演女優賞を受賞。

 

さらに第19回日本アカデミー賞では、優秀作品賞や共演した豊川悦司が優秀助演男優賞を受賞している。

 

1999年には韓国と台湾でも公開された。

特に韓国で大ヒットし、140万人の観客を動員している。

 

韓国で大ヒットした日本初の映画と言われ、『Undo』『花とアリス』などの岩井俊二監督がメガホンをとった邦画史の1ページを飾る秀作だ。

 

他の主な出演者は酒井美紀、柏原崇、范文雀。

『范文雀』とは懐かしい名前だ。どうしているのだろう。

小樽の観光名所、オーバーツーリズムの船見坂ができたきっかけとは?

明治37年(1904年)は、函館本線の小樽~函館間が開通した歴史的な年である。

そして小樽の中心街、稲穂町で大火災が発生したのもこの年であった。

 

2,000戸以上が消失する悲惨な火災だ。

この火事は小樽市民に大きなショックを与えた。

 

中央通りと竜宮通の間に、もう一本道路を建設すべきとの声が次第に高まる。

火災が発生したら被害を食い止めるために、延焼を防がなくてはならない。

 

信じられな程のスピードで繫栄する小樽には、防火帯としての広い道路が必要だった。

好景気に沸く小樽は、苦も無く新道路を完成させた。

 

こうした経緯により船見坂は誕生するのだが、本来の目的以上に大きな影響を及ぼすことになる。

 

坂の周辺が宅地として開発されたのも、その一つだ。

三角山の斜面には急ピッチで多くの家が建ち、やがて富岡の町名が生まれる。

 

一帯は高台だから、見晴らしが抜群だ。

特に内地から小樽へ移住して財を成した人々が、先を争って豪邸を建築する。

 

眼下には、港を忙しく出入りする多くの帆船があった。

帆を下ろして、しばしの停泊に憩う北前船の姿もある。

 

視界の左手には赤岩山と祝津の岬がスーっと日本海にせり出し、右に目を転じれば暑寒別山系の端然たる異形が迫りくる。

 

どこまでも青々と輝き、早春にはニシンの群れが押し寄せる豊饒の海。

船見坂から望む石狩湾を抜きに、小樽の繁栄も富も語れない。

 

この絶景を手に入れることは、即ち小樽での成功を物語るのだった。

三角山の麓、船見坂周辺はたちまち高級住宅地となったのだ。