ゴルフはアイアンを番手通りに打ち分けられると面白さが倍増する。
そして、倶楽部競技に出るとさらにスポーツの醍醐味を実感できます。
「これを持ったら80%の確率でグリーンをとらえる自信がある」
そんな得意のアイアンができればしめたもの。
あなたのシングル入りは、もう間近。
アイアンの番手通りに飛ぶとゴルフが楽しくて仕方がない!
アイアンがほぼ番手通りに飛ぶようになれば、ゴルフの面白さは倍増します。
8番アイアンとウエッジを持てば8割方オンできる、そんな自信がつけば、もうたまりません。
ハーフで60も70も叩いたころは、まともなショット2,3打だけを覚えていたが、この段階になるとミスショットが頭から離れない。
左足下がりでなお且つ前下がり、最も苦手なショットを今日はフルスイングでプッシュアウトしてしまいダボ。
今度はボールをもう少し右足よりに寄せて、2番手大きなクラブでコンパクトに振ってやろう。
オンはしなくともグリーン近くならボギーは堅いし、パーだって狙える。
あのロングの2打目をスプーンじゃなく、5アイアンで刻んでいタラ、あのショートパットをもっと慎重に打っていレバ、とタラ、レバが止まらない。
けれど、このタラればがあるからゴルフがなお楽しいのです。
1週間がとても待ち遠しいのである。
あの茨城県の名門コース大利根GCの長いミドルホール、二打目がまだ220ヤードも残っていた。
ややつま先下がりの決してやさしいショットではなかったが、スプーンを短めに持ってグリーン左を狙って振り抜く。
球はグリーン左の松林へ真っ直ぐら、と思った瞬間右へ小さな弧を描き狙い通りナイスオン。
同伴してくださったメンバーの驚きの顔が忘れられない、会心の一打でした。
クロスバンカーは大きめのクラブを短く持ち、砂に靴を潜り込ませるように足場を固め、ゆっくりコンパクトに振り抜く。
教科書通り、110ヤードを9番アイアンでコンパクトに振ってやると上半身がクルッと回転するのがわかった。
8割程度の力で見事ピンそば。
大利根GCのスプーンも忘れられないが、とても苦手だったこのフェアウエーからのバンカーショットも忘れ難い。
このようなショットが時々出ると、よし来月は月例に出てみようと言う気になる。
当時のオフィシャルハンディキャップは16で、私が所属していたコースはクラスがAとBだけ。
月例へは16のハンディキャップだとAクラスでの出場となり、クラチャンの予選にも参加できたのです。
クラブの公式競技月例会はやはり雰囲気が違いました。
気の合った仲間やプライベートコンペで回る時にはない、張り詰めた空気を感じました。
全員が青マークから打つので、カートの並んでいる場所がいつもと違っていて、スタートホール全体の景色が普段とは違って見えるのでした。
初めての月例会のスタートホールはさすがに緊張しましたが、競技が進むにつれて面白味が増していくのが自覚できました。
真剣勝負だからこそ、普段と違うゴルフの面白さをもうひとつ発見出来たのです。
みんな一打一打真剣そのもの、キャディさんもやはりいつもと雰囲気が違う。
グリーンを読む顔の表情がとても厳しい。
キャディーさんは4人共通のパートナーでありながら、常に中立でなければならない。
時には助手、時には審判を務めなければならないのだ。 互いにライバルである4人全員と平等にそして公平に接しなければいけないのであるから、考えようによってはとても大変な仕事である。 面白くて楽しいゴルフ、そこにはキャディーさんの陰の力があったのです。 |
クラブ選手権の予選はさらに違う雰囲気を醸し出す。
シングルともなれば全員クラブチャンピオンを狙っているだろうし、チャンスもある。
ハンディ2や3の者が予選落ちすると恥だと思うであろうから、皆真剣その者である。
練習グリーンでさえもう、緊張感がありありと伝わってくる。
知り合い同志で挨拶を交わす時も笑顔は少なく、互いにいつもの冗談を飛ばすすこともない。
私は日程の都合などで、クラチャンの予選は2度しか出ていないが二度とも予選落ちだった。
二度目の出場はバディー、バディーで出ての予選落ちであったから情けない。
この時は前年クラチャンだったWが昼食時、わざわざ私のテーブルまで来て
「あの長い2番、この雨の中で2オンしたの?」
「いや、3打目のサンドがチップインしたの」
これを聞いた、同席者や隣のテーブルの親爺まで
「また余計なことを。
チップインなんて言わずに2オンしたと言えばいいのに。
そしたら、Wの奴力むのに」
そういうことなんですね、マッチプレーに入る前の予選から駆け引きは始まっているのです。
その駆け引きもまた、ゴルフの一面でもあるのでしょう。
ハンディ戦の理事長杯はマッチプレーを経験して、ベスト8まで行ったことがあります。
マッチプレーはこれまた、とても面白くて楽しいのです。
ストロークプレーとは違って、例えばこのパットが入らなければ負け、という時のパットをショートするなんて馬鹿なことはあり得ません。
こちらは駆け引きするほどのキャリアも実力もないので、ストロークプレーとあまり変わらい攻め方をするのですが、ベテランはそうじゃないのです。
若いのを相手にするときは、けっこう口撃が有効らしい。
そういえば私もベスト4をかけた戦いの時、
「へ~、あんたのお母さんと俺は同じ年かよ」
これを何度も繰り返されたら、だんだん力が入ってショットがブレ出したような。
あの頃私は若かった!
クラブの公式競技は一度出てみる価値は、十分過ぎるほどあります。
今は24000円とか36000円くらいの金額で年間会員を募集しているコースが多くあります。
その中で月例に出場可能なコースを選んで、メンバーになってみてはいかがでしょうか。
あらたなゴルフライフを発見できることでしょう。
ゴルフは面白すぎる。理由は人それぞれ違うからなお楽しい!
ゴルフは楽しく面白いスポーツです。
しかし感じ方や思い入れは人それぞれ違うから、ゴルフの何が一番面白いかのベストアンサーはありません。
先ほど述べたようにクラブの公式競技に出場するのも、ゴルフの楽しさ面白さの一つの味わい方です。
クラブ選手権に出場し見事優勝の栄冠を勝ち取れば、コースの銘板にその名が刻まれ永く栄誉は輝き続ける。
1年間専用のロッカーを与えられるコースは多い。
中にはチャンピオン専用の駐車場があり、食堂に『クラチャンの席』と大きく書かれたテーブルを用意しているクラブもある。
筆者はかつて、4度か5度も小金井カントリー俱楽部のクラチャンに輝いた方とラウンドしたことがあります。
もちろん場所は小金井CCである。
当時私はHD16でチャンピオンは4だったと思う。
HD通りに握ることになった。
私は18ホールのうち12ホールで1打のハンデキャップをもらうのである。
10番スタートホールのティショットは私のボールがチャンピオンの20ヤード先にあった。
「おい、Nさんとんでもない16を連れてきたな」
と、もう一人の小金井CCメンバーである私の知人に一言。
当時の私は、初めて回る人のほとんとから同じように言われていたので気にはならなかった。
自分のメンバーコースで積極的にスコアカードを提出していなかったし、この頃は月例にもあまり出ていなかった。
したがって、オフィシャルハンディキャップは2年ほど変わっていなかったのだ。
とんでもないスコアが出るときもあれば、大叩きすることも多かったので帳尻はそこそこ合っていたのではないかと思っていた。
初対面のこのチャンピオンは小柄であったが、一度コースに出ると今まで感じたことない一打一打に迫力というか凄味があって、威圧されるのであった。
しかし、小金井CCは敷地は狭いが、OBが少なく林は浅い。
私には相性が良く大崩れした記憶がない、コースでした。
午前中は私が3打勝っていた。
それでも昼食時アドバイスをくれる。
「もう少し攻め方を考えた方がいいよ。
こういうコースでは、ピンの手前手前から行ったほうがいいんだよ」
二人の勝負は午後は一進一退であった。
8番を終わって私がトータルで3打リードは変わらなかった。
最終9番ホールのティグラウンド
「よし、プッシュ行こう」
勝負師がこのまま引き下がるわけがなかった、予想通りである。
こんな名人を本気にさせ、これほどの勝負ができるなんて、本当にゴルフは楽しい、面白すぎるのである。
プッシュとはそのホール私が勝てば取り分が2倍になり、負ければチャラになるのである。
9番はパー5でハンデホールではなかった。
ティショットは二人ともフェアウエーをキープした。
二打目をアイアンで先に打ったチャンピオンは、グリーン真正面のフェアウエーにボールを残した。
私は2オン狙いでスプーンを持ったが狭い左を嫌って、やや右を狙った。
ナイスショットでグリーン右の安全地帯に止まった。
チャンピオンは
「ナイスショットだけど、あそこは難しいぞ」
軽いジャブである。
チャンピオンからジャブが飛んでくるなんて、とても光栄でした。
チャンピオンの3打目はピンへまっすぐに80ヤードほどであったが、見事なアプローチでピン下2m弱か。
私のアプローチはピンのほぼ真横で20ヤードあるかないかだが、グリーンの傾斜が思ったよりすごい。
何とか同じくらいの距離に寄せたが、ボールは傾斜の厳しいピンの真横である。
キャディーさんに確認をしてチャンピオンは先に打ち、コツンとカップの上に当てて入れてしまった。
バーディである、午後は36のパープレーだ。
私は打ち切れずラインに負けて、カップ手前でお辞儀をしたボールはさらに1mほど下った。
パーは何とか拾ったが、カケはチャラになったのである。
「グリーン手前から行け、カップの下にボールを置け」
チャンピオンの忠告は最終ホールで裏付けられたのであった。
当時としては、43で回ったら勝とうが負けようが満足であった。