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スリーハンドレッッドクラブの入会条件が仰天!本田宗一郎の愛したゴルフ場

スリーハンドレッド ゴルフ名門コース

あの本田宗一郎氏が愛してやまなかった、スリーハンドレッドクラブ桁外れの仰天入会条件とは?

現在、メンバーにはサントリーの佐治信忠会長、シフトバンク孫正義氏など経団連加盟の社長、会長が多く在籍しています。

 

かつては安倍晋三さんもメンバーだったとの噂もあるが、これは信憑性が薄いと思いますよ。

ただ、首相在任中に最も数多く通ったゴルフ場であることは間違いありません。

 

入会条件も仰天だが、この時代にあって公式WEBサイトがないと言うのもスゴイ!

人目を避けて昼食がとれる個室も完備していて、『密室』が特別な人間関係を育むのだと言います。

 

日本にはまだまだ知られざる名門コースがあるのです。

『Exclusive』で『Closed』なカントリークラブの生い立ち、レアウト、そして仰天の入会条件を見ていきましょう。

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スリーハンドレッドクラブ仰天の入会条件は誰が決めた?

ゴルフ場

 

関東地方で一度はプレーしてみたいと思う超名門コースは、何と言ってもスリーハンドレッドクラブです。

 

神奈川県茅ケ崎市に所在し、都内からは至って近い距離にあります。

あなたはスリーハンドレッドクラブ仰天の入会条件を知っていますか?

 

軽井沢ゴルフ倶楽部や東京ゴルフ倶楽部以上に厚いベールに包まれているスリーハンドレッドクラブですが、そのスゴイ入会条件を見てみましょう。

 

・政治家は外務大臣、首相経験者に限る

・一部上場会社の社長で50歳以上の男性

・各国の駐日大使は入会金無しで会員になれる

 

 

会員数はその名の通り、300名台で340人前後のようです。

現在でも入会に必要な金額は7000万円とも8000万円とも言われています。

 

しかも、明文化された条件を満たし、所定の金額を収められる者はすべてメンバーになれるということでもないようです。

 

スリーハンドレッドクラブのメンバーとしてふさわしい人物かどうか、かなり厳しい審査があるといいます。

 

それでいながら、メンバーの空き枠を待っている人が100名はいるとの説もあるから驚きです。

ちなみにゲストのプレーフィーは平日30,650 円、休日35,900と言われています。

 

現役の総理大臣であっても、メンバーの紹介状または同伴なしにはプレーできない名門コース

中西前経団連会長が健在のころは、安倍首相同伴で時々一緒にプレーしていましたね。

 

これについては確かな情報です。

メデアでも何度か伝えられています。

 

東急グループの二代目総帥だった五島昇氏が、日本のトップリーダー交流の場として設立したのですが、将来景気が落ち込んでメンバーの質の低下を招き、クラブ経営理念に影響を及ぼしことのないようにと、10億円の基金を積み立てたとも言われています。

 

スリーハンドレッドクラブ驚愕の入会条件は、アメリカ・ワシントン郊外にあって『大統領のゴルフ場』と異名をもつ名門・バーニングツリーゴルフクラブに倣ったものです。

 

アイゼンハウアー大統領と岸首相が日米安保条約に関して忌憚のない意見を交換し、条約締結にこぎつけた場所として有名ですね。

 

スリーハンドレッドクラブの9番10番は永久に改造してはいけない!

スリーハンドレッドクラブには五島昇氏の、ゴルフ場に対する思いが強く反映されています。

レアウトの特徴は、丘陵の原形をそのまま生かしたことです。

 

建設時に動かした土量はごくわずかでした。

あまりにも動かす土量が少なかったため、9番グリーン手前の窪地は埋められることなく、現在も深い谷のままになっています。

 

しかし、今ではスリーハンドレッドクラブ最高の戦略ポイントとして、メンバーの高い人気を集めているから、やはり自然は素晴らしい。

 

自ら設計に携わった五島昇氏は、この9番、そして10番ホールの戦略的な地形を生涯愛したのだと言います。

 

「この2ホールは永久に改造してはいけない」

と遺言したといわれています。

 

10番ホールはハウス傍らの高所から、谷の狭間を打ち下して進む440ヤードのパー4。

メンバーは畏怖と親しみを込めて、この2ホールをスリーハンドレッドクラブのアーメンコーナーと呼んでいるようです。

 

五島昇氏の思想と理念は今にしっかりと伝えられ、各ホールはプレーよりも景観美に重点を置いて整備されるのです。

 

開場当初は人の膝丈ほどしかなかった植樹は半世紀以上の時を経て、中には10数メートルまで成長した樹木もあります。

 

当然、フェアウェイまで枝を張る大木も出てきます。

だが、スリーハンドレッドクラブでは景観美を保つため、敢えて切り払わない枝もあるのです。

 

ある時はプレーに支障をきたし、またホールを狭く見せてプレーヤーを威圧するが、営々と受け継がれる思想、ポリシーに共鳴して入会したのだからメンバーから苦情はありません。

 

また、各ホールのグリーン周りやティイングエリアには、かつての財界重鎮たちが寄贈した樹木が立ち並びます。

 

特に1番と10番のティイングエリア、2番と8番のグリーン回りに植樹された枝垂桜が、緑の芝生と見事なコントラストを描いて映えるのだといいます。

 

安倍さんは霞が関カンツリー倶楽部も好きだったようです!!!

 

こちらのゴルフ場も凄いですよ!!!

スリーハンドレッドクラブで石原慎太郎がプレーした日の出来事!

ヨットでは有名な石原慎太郎氏ですが、ゴルフ好きであったことはあまり知られていません。

しかし、若かりし頃はよくゴルフも楽しんでいたようです。

 

プレーする姿はスリーハンドレッドクラブでも、何度か目撃されています。

彼は著書に、とても興味深い記述を遺しています。

 

石原慎太郎氏が、東急電鉄の二代目社長にしてスリーハンドレッドクラブ創設者である、五島昇氏とともに同クラブで三組のコンペに参加した時のことでした。

 

インスタートだった二人の組は、フィッシングホールのアウト9番にやってきます。

このホールを五島氏がパーであがれば文句なしの優勝、ボギーなら何人かでプレーオフという場面です。

 

しかし、全日本アマで決勝大会まで進出したオフシャルハンデ2の名手が、名物のポットバンカーにつかまり大叩きしてしまうのでした。

 

その悪戦苦闘を五島氏の友人が間近で見ていました。

友人もかつて、このポットバンカーで大たたきした経験があったのです。

 

五島氏のそばで友人は、ポツリとつぶやきます。

「このホールは難し過ぎるよなあ。このバンカーはいらないんじゃない」

 

これを聞いた五島氏はクラブハウスへ引き上げるなり、コース管理の人間を呼びつけます。

「おい、あのバンカーは埋めろ」。

 

石原慎太郎氏が風呂から上がり、テラスでビールジョッキー片手にコースを眺めていると、コース管理の人間が早くもそのポットバンカーを埋め始めていたというのです。

 

慎太郎氏は「なるほど、これがプライベートクラブのオーナーというものだ」と、いたく感心したと記しています。

 

素晴らしい逸話ですね。

こういう時代が日本にもありました。

 

いや、今でもあります、

世間には知られていないだけです。

 

東京から2時間ほどの北関東にも、このようは超ワンマン・オーナーゴルフ場があります。

北海道の山奥にもあります。

 

札幌から1時間半ほどの後志地方。

すべて自己資金で18ホールのゴルフ場を造成しました。

 

自分一人のために造ったのですから、クラブハウスはありません。

毎日ラウンドするわけでもなければ、プレースしても全ホールを一度に使う訳でもありません。

 

だから、一日10組限定でビジターに開放しています。

料金は平日で6,000円ピッタリ。

土日祝の料金は聞いていません。ごめんなさい。

予約受付は、女性従業員の携帯電話のみ。

 

このゴルフ場のオーナーは中国人です。

日本はまだまだ広いし、金持ちの中国人にとっては天国なのかもしれません。

 

未知のカントリークラブは、結構あります。

ゴルフを通じて眺める日本は、実に楽しいのです。

スリーハンドレッドクラブと中曽根元総理

スリーハンドレッドクラブ」の予約プランや評判を確認するならゴルフハック[GolfHack]

五島昇氏は中曽根元首相と若いころからとても親しく、ブレーンの一人でもあり、政治資金を惜しみなく援助していた仲でもありました。

 

そのような関係から五島氏と中曽根氏の二人で創ったクラブと見る方もいるようですが、その可能性は少ないと思います。

 

入会条件にある、政治家は外相経験者及び首相経験者に限るという項目は、開場当初からのものです。

おそらくこれは、五島昇氏の強い意志で決められたのだと思われます。

 

1962年に開場したクラブではありますが、当時中曽根さんの閣僚経験は1959年就任の科学技術庁長官のみ。

 

外相経験のない中曽根さんが入会条件を満たすには、1982年の第71代内閣総理大臣就任まで待たねばなりません。

 

プレーは五島さんの紹介があればこの名門コースでいつでも好きな時にできたでしょうが、特例で会員にしたとは考えにくいですね。

あったとしたら抜け道の特別会員と言うやつでしょうか。

 

敷地内にクラブハウスとは別の建物を建て、そこを中曽根根さんが中心になって活動していた『日本をアメリカから真に独立させる会』のような団体に自由に使わせていた事実はあるようです。

 

スリーハンドレッドクラブは本田宗一郎氏が最も愛したゴルフ場!

錚々たる財界人の中でも、故本田宗一郎氏は特にスリーハンドレッドクラブを気に入っていたようです。

第一線を引退した晩年は、天気さえよければヘリコプターでプレーに出かけていたと聞いています。

 

その本田宗一郎氏がゴルフを始めたのは、還暦を過ぎてからとかなり遅い方でしたが、いかにも庶民派らしい逸話も遺しています。

 

ゴルフを始めた当初、本田氏がメイーンでプレーしていたのが荒川の河川敷コースでした。

現在はなくなってしまいましたが、何とそこの正会員だったというから、驚くやら、楽しいやらです。

 

ロッカーには「本田宗一郎」の名前が書かれていましたが、他の会員たちは誰一人、あの「本田宗一郎」だったとは思わなかったようです。

 

それは、そうでしょう。

まさか天下のホンダの総大将が河川敷ゴルフ場のメンバーだなんて、想像できないのはごく当然のことです。

 

当時、本田宗一郎氏は埼玉県の和光市にある研究所を仕事の本拠にしていたので、そのゴルフ場は職場からも自宅から近かくて便利だったのです。

 

プレー代も安いので、社員を連れてラウンドすることも多かったと言います。

宗一郎氏らしいエピソードですね。

さて、本田宗一郎氏はこんな語録を遺しています。

「仕事中は階級もあり、指導力もある。でも仕事を離れりゃ友達同士。」

 

社長を退任し、プライベートでゴルフを楽しんでいた時のことです。

銀行の幹部がわざわざゴルフ場まで、本田氏の好きな果物を差し入れにやってきました。

 

宗一郎氏は一喝します。

「なんだこれは。

俺はこんなものをもらう筋合いはない。もって帰れ。」

 

プライベートで楽しんでいるときに、取り入ろうとするミエミエの魂胆は本田哲学と相容れません。

しかも、食べ物で釣ろうなんて、彼には最も嫌いな事だったのです。

 

この銀行幹部は本田氏の好んだ「裸の付き合い」や「でも仕事を離れりゃ友達同士」を勘違いしてたのでしょう。

 

スリーハンドレッドクラブのハウス玄関口には、次のような論語が掲げられています。

 

「不許冠職入山門」:冠職山門に入るを許さず

*身分や地位、職業を意識してここに入ってはならない。

 

本田宗一郎氏は、このようなクラブの精神と相性がぴったりだったのだと思われます。

 

スリーハンドレッドクラブは、日本では稀なプライベートカントリークラブです。

これもまた、本田宗一郎氏が大いに気に入っていた理由でしょう。

 

リタイア後、晴天の日には毎日のようにスリーハンドレッドクラブでラウンドしていた理由が、よくわかります。

ホームぺージを持たない閉鎖的なスリーハンドレッドクラブ!

今もってWEBサイトのホームページを持たない、閉鎖的というか『Exclusive』で『Closed』なカントリークラブ。

 

好奇心を掻き立たせますが、筆者はこういう類の名門コースがあるのは大賛成です。

何もかにも横並びである必要はないと思うからです。

 

オリンピックの会場としてでも提供しない限り、『男女差別だ』『閉鎖的だ』『時代遅れだ』と騒がれることもありません。

 

ただ危惧すべきことが一つあります。

ゴルフ場を開設した五島昇氏が後顧の憂いを防ぐため積み立てたと言われる10億円。

 

開業当初の昭和時代なら人権費が安く高金利であったから、経営の安定に大きく寄与したと思いますが、今は超低金利の時代で人件費も高い。

 

よほどうまく運用しなければ、10億円の積立金は底をつきかねません。

そのためか休日の貸し切りコンペにゴルフ場を提供することがあるようです。

『Exclusive』な名門を傷つける休日貸し切りコンペのネット募集

休日の貸し切りコンペは、霞ヶ関カンツリー倶楽部などでも時々行われているから、それ自体は取り立てて騒ぐようなことではありません。

 

だが、やり方が問題なのです。

ひっそりと開催する分には何の問題もありません。

 

だが、主催者と思われる人が、自らネット上に貸し切りコンペの写真を公開しているではありませんか。

これは絶対にやってはいけないことです。

 

インスタグラムやTwitter上をスリーハンドレッドクラブの貸し切りコンペ写真が跋扈するようになったら、『Exclusive』で『Closed』なイメージなど、あっと言う間に吹っ飛びますよ

 

スリーハンドレッドクラブのような特別なゴルフクラブが日本に存在し続けて欲しいが故の老婆心で申し上げます。

 

経営の安定に俱楽部を貸す出しことを否定はしません。

だが、その場合は主催者に厳しい規制を科しべきでしょう。

 

こちらのゴルフ場は貸し切りコンペなど一切やりません!

 

スリーハンドレッドクラブデータ

所在地       神奈川県茅ヶ崎市甘沼441

開場日       昭和37年9月23日

コース概要     18ホール  6875ヤード  パー72

地形        丘陵

設 計       東京急行衛星都市建設部

コースレート    未査定

スリーハンドレッドクラブのレアウトとアクセス

松林に囲まれた丘陵地で、自然を活かした起伏が特徴をもたらすコース。

景観を優先するので、フェアウェイまで枝を伸ばした樹木もあり、相対的に狭く感じると言う。

 

全体に長いが特にアウトは距離があり、パーオンを逃すとアプローチが簡単ではない。

接待用のレアウトと思い込みプレーに臨む人もいるが、スタートしてすぐに勘違いだったと気づきくのだという。

 

魅力あふれるコースは一度プレーすると虜になり、ゴルフの醍醐味を満喫したと喜ぶゴルファが圧倒的。

 

キャデイさんの的確なアドバイス、機敏でメリハリある働きぶりに感激する人も多い。

何と言っても入場者数が少ないので、前後を全く気にせずゆったりとゴルフを楽しめるのが最高だという。

【スリーハンドレッドクラブのOUTコースレアウト】

 

【スリーハンドレッドクラブのヤーデージ】

 OUT 1 2 3 4 5 6 7 8 9
Par 4 4 3N 5 4 4 4 3 5 36
Champ 400 420 185 510 380 410 380 220 570 3475
Reg. 380 405 160 480 350 375 335 180 540 3205
Hdcp 11 5 17 3 9 1 13 15 7 ­
 IN 10 11 12 13 14 15 16 17 18
Par 4 3 4 5 4 4 3 5D 4 36
Champ 440 200 400 530 410 330 180 550 360 3400
Reg. 415 175 375 495 385 305 150 505 330 3135
Hdcp 4 14 10 6 2 12 16 8 18

 

【スリーハンドレッドクラブのINコースレアウト】

スリーハンドレッドクラブへのアクセス

【車で行く】

・東名高速道路利用 : 厚木IC から約18 km

道順 は厚木ICで降り戸田交差点を左折、川を渡り相模線を越え日産工機を右折し案内に従いコースへ。

 

・横浜新道利用   : 横浜新道料金所 18 km

東名高速道路、横浜ICから保土ヶ谷バイパスを通り横浜新道に入る。

終点から藤沢バイパスを通り遠藤または一里塚信号を右折しコースへ。

 

【電車利用】

JR東海道本線 : 茅ヶ崎駅下車

・茅ヶ崎駅北口からタクシーで約10分 、1400円位

 

◎タクシー料金は目安となります。

◎クラブバスはありません。

 

【スリーハンドレッドクラブの周辺地図】

スリーハンドレッドクラブを愛した本田宗一郎氏ゆかりのハワイパールカントリークラブとは?

パールカントリークラブ

無類のゴルフ好きだったホンダの創業者本田宗一郎さんは、ハワイでパールカントリークラブを運営していました。

 

コンセプトは『地元の人に喜ばれるコース』で、宗一郎氏がオーナーだった本田開発工業が管理運営をしています。

 

1967年の会場でパールハーバーやアリゾナ記念館、戦艦ミズーリ、ワイアナエ山脈などを見渡すことができる、景観に恵まれたリゾートコース。

 

ハワイのゴルフ場にしては地形が変化に富んでいて、地元ゴルファーにも評判が良いのだといいます。

『日米アマチュアPCCプレジデンツカップ』やプロとアマが一緒に回る『パールオープン』が開催されていました。

 

パールオープンは惜しまれながら、2013年を最後に幕を閉じています。

晴天の日は、きれいなクラブハウスと整備の行き届いたコースがまぶしいほど。

 

どんなレベルのゴルファーも楽しめるコースレイアウトだが、海からの強い風に影響を受けて、かなり難易度の高いホールもあります。

 

2013年まで続いたパールオープンは、石川遼をはじめ、ミシェルウィー、池田勇太、横峯さくらなどが参加した大会でした。

 

ハンディキャップ4以下ならアマチュアの参加が認められ、日本からも多くのスングルプレーヤーが挑戦したことでも有名です。