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スリーハンドレッッドクラブ驚愕の入会条件と本田宗一郎。会員権価格は?

スリーハンドレッド ゴルフ名門コース

あの本田宗一郎氏が愛してやまなかった、スリーハンドレッドクラブ桁外れの驚愕入会条件とは?

現在、メンバーにはサントリーの佐治信忠会長、シフトバンク孫正義氏など経団連加盟の社長、会長が多く在籍している。

 

かつては安倍晋三さんもメンバーだったとの噂もあるが、これは信憑性が薄いと思いますよ。

ただ、首相在任中に最も数多く通ったゴルフ場であることは間違いありません。

 

入会条件も驚愕だが、この時代にあって公式WEBサイトがないと言うのもスゴイ!

人目を避けて昼食がとれる個室も完備していて、『密室』が特別な人間関係を育むのだと言う。

 

日本にはまだまだ知られざる名門コースがある。

『Exclusive』で『Closed』なカントリークラブの生い立ち、レアウト、そして驚愕の入会条件を見ていきましょう。

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スリーハンドレッドクラブ驚愕の入会条件は誰が決めた?

ゴルフ場

関東地方で一度はプレーしてみたいと思う超名門コースは、何と言ってもスリーハンドレッドクラブです。

 

神奈川県茅ケ崎市に所在し、都内からは至って近い距離にあります。

あなたはスリーハンドレッドクラブの驚愕入会条件を知っていますか?

 

軽井沢ゴルフ倶楽部や東京ゴルフ倶楽部以上に厚いベールに包まれているスリーハンドレッドクラブですが、そのスゴイ入会条件を見てみましょう。

 

・政治家は外務大臣、首相経験者に限る

・一部上場会社の社長で50歳以上の男性

・各国の駐日大使は入会金無しで会員になれる

 

 

この入会条件を見てあなたはどう思いましたか?

あなたは適格者だったでしょうか?

 

会員数はその名の通り、300名台で340人前後のようです。

現在でも入会に必要な金額は7000万円とも8000万円とも言われている。

 

この金額は小金井カントリー倶楽部の入会に必要な、総額約6000万円を超えて日本一でしょう。

ただし、小金井CCの会員権が市場で売買できるのに対して、スリーハンドレッドクラブは売買できません。

 

それでいながら、メンバーの空き枠を待っている人が100名はいるとの説もあるから驚きだ。

ちなみにゲストのプレーフィーは平日30,650 円、休日35,900と言われています。

 

現役の総理大臣であっても、メンバーの紹介状または同伴なしにはプレーできない名門コース

中西前経団連会長が健在のころは、安倍首相同伴で時々一緒にプレーしていましたね。

 

これについては確かな情報です。

メデアでも何度か伝えられています。

 

 

東急グループの二代目総帥だった五島昇氏が、日本のトップリーダー交流の場として設立したのですが、将来景気が落ち込んでメンバーの質の低下を招き、クラブ経営理念に影響を及ぼしことのないようにと、10億円の基金を積み立てたとも言われています。

 

スリーハンドレッドクラブ驚愕の入会条件は、アメリカ・ワシントン郊外にあって『大統領のゴルフ場』と異名をもつ名門・バーニングツリーゴルフクラブに倣ったものです。

 

アイゼンハウアー大統領と岸首相が日米安保条約に関して忌憚のない意見を交換し、条約締結にこぎつけた場所として有名ですね。

 

スリーハンドレッドクラブには五島昇氏のゴルフ場に対する思いが強く反映されている。

レアウトの特徴は丘陵の原形をそのまま生かしたこと。

 

建設時に動かした土量はごくわずかだった。

あまりにも動かす土量が少なかったため、9番グリーン手前の窪地は埋められることなく、現在も深い谷のままになっている。

 

しかし、今ではスリーハンドレッドクラブ最高の戦略ポイントとして、メンバーの高い人気を集めているから、やはり自然は素晴らしいのだ。

 

自ら設計に携わった五島昇氏は、この9番、そして10番ホールの戦略的な地形を生涯愛したのだと言う。

 

「この2ホールは永久に改造してはいけない」

と遺言したといわれている。

 

10番ホールはハウス傍らの高所から、谷の狭間を打ち下して進む440ヤードのパー4。

メンバーは畏怖と親しみを込めて、この2ホールをスリーハンドレッドクラブのアーメンコーナーと呼んでいる。

 

五島昇氏の思想と理念は今にしっかりと伝えられ、各ホールはプレーよりも景観美に重点を置いて整備される。

 

開場当初は人の膝丈ほどしかなかった植樹は半世紀以上の時を経て、中には10数メートルまで成長した樹木もある。

 

当然、フェアウェイまで枝を張る大木も出てきます。

だが、スリーハンドレッドクラブでは景観美を保つため、敢えて切り払わない枝もあるのです。

 

ある時はプレーに支障をきたし、またホールを狭く見せてプレーヤーを威圧するが、営々と受け継がれる思想、ポリシーに共鳴して入会したのだからメンバーから苦情はない。

 

また、各ホールのグリーン周りやティイングエリアには、かつての財界重鎮たちが寄贈した樹木が立ち並ぶ。

 

特に1番と10番のティイングエリア、2番と8番のグリーン回りに植樹された枝垂桜が、緑の芝生と見事なコントラストを描いて映えるのだと言う。

 

こちらのゴルフ場も凄いですよ!!!

サントリーの佐治信忠氏はスリーハンドレッドクラブで新浪剛史氏を口説いた?

もう10年以上も前のことであるが、さわやかな秋晴れのスリーハンドレッドクラブに佐治忠信サントリー社長と新浪剛史ローソン社長の姿があった。

 

スリーハンドレッドクラブのメンバーである佐治氏が新浪氏と日清食品ホールディングス安藤宏基社長、日本コカコーラ魚谷雅彦会長をゴルフに誘ったのだった。

:肩書はすべて当時のものです。

 

気心の知れた経営者4人で気楽にゴルフを楽しむため佐治氏がセットしたのです。

このラウンドを主催した佐治氏は新浪氏のゴルフに改めて目を見張った。

 

マナーが素晴らしかった。

260ヤードのロングドライブも放つが、グリーン周りのアプローチでは繊細さを見せた。

 

同伴者への気配りも怠りなく、何よりも新浪氏の品格ある振舞いと素晴らしい判断力が佐治氏の心を深くとらえたのだった。

 

新浪氏のキャディさんに対する接し方に佐治氏は特に感心した。

先輩である同伴者への気遣いと同じようにキャディさんにも接して、しかもさりげないのだ。

 

佐治氏は霞ヶ関カンツリー俱楽部のメンバーでもある。

霞のような伝統ある名門コースはキャディさんを大切にする。

 

キャデイをぞんざいに扱う者は、メンバー失格の烙印を押されてしまいます。

地方でよく耳にするのは地元の名士や小金持ちがキャディに暴言を吐いたり、当たり散らすと言うこと。

 

日本では勘違いしているゴルファが多いですね。

プレーヤから見て、キャディは召使でもなく、僕でもない。

 

プレーを助けるパートナーなのです。

この部分が分かっていないのですね。

 

その点に関しては伝統的な名門コースほど、しっかりと認識されているのです。

地方に限らず首都圏でもキャディさんに威張り散らすゴルファを見かけます。

 

日本を代表するような名門コースでは通用しないゴルファがいると言うことです。

いや、名門で通用するしないの問題でなく、人間性が疑われるのですが、本人は気付かない不幸ですね。

 

さて、当時すでに60歳を超えていた佐治氏の頭には『後継者』の文字がちらついていた。

佐治氏も新浪氏も慶応大学出身で、互いに経済界最強のOB会と言われる『三田会』の会員として、すでに交流はあった。

 

「ゴルフで一日一緒にラウンドすれば、その人の人間性がよく見える。人間関係を構築する重要なツールになり得る」

 

そのように言う人が多い。

佐治氏はこの日のラウンドで、これまでの付き合いでは気づかなかった新浪氏の人間性を再発見したのです。

 

佐治氏はその気になれば、いつでも80台を出せるほどの腕前を持つゴルフ上級者だ。

特にアプローチには自信があった。

 

この日から新浪ローソン社長への静かなるアプローチが始まっていた。

そして、あのラウンドから約4年を経た2014年、日本中に衝撃が走った人事の発表。

 

ローソン社長・新浪剛史氏がサントリーの新社長に就任する報告だった。

佐治氏の巧みで粘り強いアプローチが実を結んだのです。

 

ゴルフでの同伴は、ほぼ一日、互いに顔を突き合わせる。

同伴者への気配り、キャディさんへの接し方、トラブルへの対処などが如実に人柄を表す。

 

そして同じテーブルで食事まで一緒だ。

入浴やロッカールームではプライバシーまで垣間見えることもある。

 

相手の知られざる欠点を見てしまうこともあるが、一挙に二人の距離が縮まることも多い。

佐治氏と新浪氏のケースは間違いなく後者だろう。

 

厚いベールに包まれた、日本を代表する名門は関西にも!

 

スリーハンドレッドクラブと中曽根元総理、本田宗一郎氏

スリーハンドレッドクラブ」の予約プランや評判を確認するならゴルフハック[GolfHack]

五島昇氏は中曽根元首相と若いころからとても親しく、ブレーンの一人でもあり、政治資金を惜しみなく援助していた仲でもありました。

 

そのような関係から五島氏と中曽根氏の二人で創ったクラブと見る方もいるようですが、その可能性は少ないと思います。

 

入会条件にある、政治家は外相経験者及び首相経験者に限るという項目は、開場当初からのものです。

おそらくこれは、五島昇氏の強い意志で決められたのだと思われる。

 

1962年に開場したクラブではありますが、当時中曽根さんの閣僚経験は1959年就任の科学技術庁長官のみ。

 

外相経験のない中曽根さんが入会条件を満たすには、1982年の第71代内閣総理大臣就任まで待たねばなりません。

 

プレーは五島さんの紹介があればこの名門コースでいつでも好きな時にできたでしょうが、特例で会員にしたとは考えにくいですね。

あったとしたら抜け道の特別会員と言うやつでしょうか。

 

敷地内にクラブハウスとは別の建物を建て、そこを中曽根根さんが中心になって活動していた『日本をアメリカから真に独立させる会』のような団体に自由に使わせていた事実はあるようです。

 

 

 

錚々たる財界人の中でも、故本田宗一郎氏はとてもこの名門コースを気に入っていたようです。

第一線を引退した晩年は天気さえよければヘリコプターでプレーに出かけていたと聞いています。

 

今もってWEBサイトのホームページを持たない、閉鎖的というか『Exclusive』で『Closed』なカントリークラブ。

 

好奇心を掻き立たせますが、筆者はこういう類の名門コースがあるのは大賛成です。

何もかにも横並びである必要はないと思うからだ。

 

オリンピックの会場としてでも提供しない限り、『男女差別だ』『閉鎖的だ』『時代遅れだ』と騒がれることもありません。

 

ただ危惧すべきことが一つあります。

ゴルフ場を開設した五島昇氏が後顧の憂いを防ぐため積み立てたと言われる10億円。

 

開業当初の昭和時代なら人権費が安く高金利であったから、経営の安定に大きく寄与したと思いますが、今は超低金利の時代で人件費も高い。

 

よほどうまく運用しなければ10億円の積立金が活かされない。

そのためか休日の貸し切りコンペにゴルフ場を提供することがあるようです。

 

これが問題だ。

ひっそりと開催する分には何の問題もありません。

 

だが、主催者と思われる人が、自らネット上に貸し切りコンペの写真を公開しているではありませんか。

これは絶対にやってはいけないことです。

 

インスタグラムやTwitter上をスリーハンドレッドクラブの貸し切りコンペ写真が跋扈するようになったら、『Exclusive』で『Closed』なイメージなど、あっと言う間に吹っ飛びましよ

 

スリーハンドレッドクラブのような特別なゴルフクラブが日本に存在し続けて欲しいが故の老婆心で申し上げます。

 

経営の安定に俱楽部を貸す出しことを否定はしません。

だが、その場合は主催者に厳しい規制を科しべきでしょう。

 

こちらのゴルフ場は貸し切りコンペなど一切やりません!

 

スリーハンドレッドクラブデータ

所在地       神奈川県茅ヶ崎市甘沼441

開場日       昭和37年9月23日

コース概要     18ホール  6875ヤード  パー72

地形        丘陵

設 計       東京急行衛星都市建設部

コースレート    未査定

スリーハンドレッドクラブのレアウトとアクセス

松林に囲まれた丘陵地で、自然を活かした起伏が特徴をもたらすコース。

景観を優先するので、フェアウェイまで枝を伸ばした樹木もあり、相対的に狭く感じると言う。

 

全体に長いが特にアウトは距離があり、パーオンを逃すとアプローチが簡単ではない。

接待用のレアウトと思い込みプレーに臨む人もいるが、スタートしてすぐに勘違いだったと気づきくのだと言う。

 

魅力あふれるコースは一度プレーすると虜になり、ゴルフの醍醐味を満喫したと喜ぶゴルファが圧倒的。

 

キャデイさんの的確なアドバイス、機敏でメリハリある働きぶりに感激する人も多いそうです。

何と言っても入場者数が少ないので、前後を全く気にせずゆったりとゴルフを楽しめるのが最高だと言う。

 

【スリーハンドレッドクラブのOUTコースレアウト】

 

【スリーハンドレッドクラブのヤーデージ】

 OUT 1 2 3 4 5 6 7 8 9
Par 4 4 3N 5 4 4 4 3 5 36
Champ 400 420 185 510 380 410 380 220 570 3475
Reg. 380 405 160 480 350 375 335 180 540 3205
Hdcp 11 5 17 3 9 1 13 15 7 ­
 IN 10 11 12 13 14 15 16 17 18
Par 4 3 4 5 4 4 3 5D 4 36
Champ 440 200 400 530 410 330 180 550 360 3400
Reg. 415 175 375 495 385 305 150 505 330 3135
Hdcp 4 14 10 6 2 12 16 8 18

 

【スリーハンドレッドクラブのINコースレアウト】

 

スリーハンドレッドクラブへのアクセス

【車で行く】

・東名高速道路利用 : 厚木IC から約18 km

道順 は厚木ICで降り戸田交差点を左折、川を渡り相模線を越え日産工機を右折し案内に従いコースへ。

 

・横浜新道利用   : 横浜新道料金所 18 km

東名高速道路、横浜ICから保土ヶ谷バイパスを通り横浜新道に入る。

終点から藤沢バイパスを通り遠藤または一里塚信号を右折しコースへ。

 

【電車利用】

JR東海道本線 : 茅ヶ崎駅下車

・茅ヶ崎駅北口からタクシーで約10分 、1400円位

 

◎タクシー料金は目安となります。

◎クラブバスはありません。

 

【スリーハンドレッドクラブの周辺地図】

本田宗一郎氏ゆかりのハワイパールカントリークラブとは?

パールカントリークラブ

 

無類のゴルフ好きだったホンダの創業者本田宗一郎さんは、ハワイでパールカントリークラブを運営していました。

 

コンセプトは『地元の人に喜ばれるコース』で、宗一郎氏がオーナーだった本田開発工業が管理運営をしています。

 

1967年の会場でパールハーバーやアリゾナ記念館、戦艦ミズーリ、ワイアナエ山脈などを見渡すことができる、景観に恵まれたリゾートコース。

 

ハワイのゴルフ場にしては地形が変化に富んでいて、地元ゴルファーにも評判が良いのだと言う。

『日米アマチュアPCCプレジデンツカップ』やプロとアマが一緒に回る『パールオープン』が開催されていました。

 

パールオープンは惜しまれながら、2013年を最後に幕を閉じています。

晴天の日は、きれいなクラブハウスと整備の行き届いたコースがまぶしいほど。

 

どんなレベルのゴルファーも楽しめるコースレイアウトだが、海からの強い風に影響を受けて、かなり難易度の高いホールもあります。

 

2013年まで続いたパールオープンは、石川遼をはじめ、ミシェルウィー、池田勇太、横峯さくらなどが参加した大会でした。

 

ハンディキャップ4以下ならアマチュアの参加が認められ、日本からも多くのスングルプレーヤーが挑戦したことでも有名です。

名古屋ゴルフクラブ和合コースと小林支配人の強烈な思い出!

一度は行ってみたいゴルフ場はたくさんあり過ぎるのですが、やはり軽井沢の『旧軽』と『新軽』への憧れは強いですね、筆者の場合。

 

どちらか一つでプレーさせてやる、と言われたら18ホールある『新軽』を選びます。

12ホールより18ホールの方が名門コースで長くプレーを楽しめるから。(笑)

 

東京G倶楽部も行ってみたいし、関東では他に大洗GC、那須GC、静岡ではやはり川奈GCでプレーしたいなあ。

 

関西では廣野G倶楽部と茨木カンツリー倶楽部、どちらも関西を代表するゴルフの名門コースですね。

 

行ったことのないクラブは、他人の評価やうわさ話、書物に載っていた書評などで判断せざるを得ません。

 

そんな外部からの情報を基にあれこれ考えると、どうしても伝統あるゴルフ場の名門へ行ってみたくなるのです。

 

伝統と格式ある名門コースは、雰囲気が良い。

クラブハウスに一歩踏み入ると落ち着きの中に漂う、静かなる緊張感が何とも言えないのです。

新築される前の小金井CCや現在の名古屋G倶楽部のクラブハウスは趣があって、とても好きでしたね。

 

玄関、壁、食堂、ラウンジ、廊下などいたるところから、カントリー倶楽部を愛した先人たちの声が聞こえてきそうな雰囲気に満ちている。

 

名古屋GCのクラブハウスには屋根裏部屋のような応接室があって、当時の小林支配人とよくその部屋で話をしたものです。

そうですね、あの名門コースで密談もしましたよ。(笑)

 

実は筆者が最もプレーしてみたいのは、この名古屋ゴルフ倶楽部和合コースなのです。

故小林支配人とは屋根裏部屋で懇談し、ある時は支配人じきじきで車を運転し、名古屋駅まで送り迎えしていただくほど親しかったのに、あの名門コースでは一度もプレーしたことがないのです。

 

支配人の案内でコース内は何度も歩きましたので、名門コースの18ホールほぼすべてをこの目で見ていますが、プレーには縁がなかったのです。

 

支配人と知り合うきっかけを作ってくださった方と一緒に回るべく計画したのですが、なぜかあの名門コースでは何度もプレーの話が壊れてしまったのです。

 

向こうは名古屋、私は当時東京に住んでいましたが、関東ではその方と3度もゴルフをしたのになぜ名古屋ではできなかったのでしょうか?

 

今後二人で小林さんを偲びながらラウンド出来たら、どんなにうれしいことか。

あの働き者の支配人がこよなく愛した池越えのパー3でワンオンできたら、思わず涙がこぼれるかも知れない。

 

土曜日の早い新幹線で名古屋入りし、午前9時ころ倶楽部に到着するとクラブハウス玄関前の左側に黒塗りの高級車がずらりと並んでいた。

 

名門コースは駐車場ではなくこんな場所で、プレー中の社長を待っているのかと思ったら、さにあらず。

翌月の土曜日にゲスト同伴でプレーする人が、スタート予約のために待っているのだった。

 

メンバー本人もいるが多くは代理人のようで、受付開始の10時になったらフロントでスタート時間が記入された、ビジター用のカードを受け取るのです。

 

「東京じゃ、コースまで来て並ばせる倶楽部はもう、ないだろ」

「まだ、いくつか残っているようですが、珍しいでしょうね」

 

「うちは18ホールしかなくて、土、日はメンバータイムがあるから、ビジターの枠は少ないんだよ。

何たって、和合は人気あるからね」

 

現在はどうなっているのでしょうか、もうさすがに廃止されているでしょう、名門コースこだわりのアナログ習慣は。

 

そんな話をしていたら、名古屋に本社がある企業の社長室長とおっしゃる方がお見えになりました。

 

その会社の役員の方が和合Cに新規入会の申請をしたいので、その打ち合わせと言うことのようです。

席を代わって、私は少し離れたところで待機しました。

 

しかし、支配人の声は元気で大きい。

「あんたの所は、他にもメンバーがいるのにこんな事も分からんの?

これだけはダメだよ、特例は認められないんだよ。

決まり通りやってくれよ」

 

ちょっと、べらんめえ調がかっていて、ハッキリもの申すタイプであった。

苦労人で人情味あふれる人柄であったが、ダメなものはダメの厳しい人でもありました。

 

それにしても、超名門コースと言われる伝統あるゴルフ場の支配人で、あんな口調の方は他にいません。

 

しかし、日本を代表するトーナメント中日クラウンズの事務局長も兼ねていて、トーナメント関係者やコースのメンバーからの信頼は絶大なものがあったのです。

あの小林さんとラウンドをするチャンスが、永遠に訪れないなんて。

小樽カントリー倶楽部への熱き想い、奥道後CCの驚き、白川国際CCの妖精とは?

<小樽カントリー倶楽部・旧コース>

北海道の歴史とともに歩んだ名門コースと言えば、小樽カントリー倶楽部と札幌ゴルフ倶楽部・輪厚コース

 

小樽カントリー倶楽部は北海道ゴルフの発祥の地とも言える名門コースであり、日本オープンが2度開催されるなど国内でも指折りの難コースとして有名です。

 

旧コースの9ホールは昭和3年、資産家によって提供された牧草地であるが、野芝がほぼ当時のままの状態で自生している。

 

あえてフェアウエもラフも野芝のままにし、敷地内には大木がなく海風をまともに受け、英国のリンクスと環境や状態がとても似ているので、全英オープンに出場権を得た日本のプロがよく練習に来るようだ。

 

小樽カントリー俱楽部は北海道を超えて、日本を代表する名門コースだ。

小樽カントリー倶楽部の歴史を知れば、日本人がゴルフへ憬れた歴史が見えてくる。

 

現在、女子プロ・ニトリレディースゴルフトーナメントが毎年開催されている。

この大会には先人たちから受け継がれた、道産子のゴルフに注ぐ熱き思いが注がれている。

 

札幌G倶楽部・輪厚はご存知の巨匠井上誠一が設計した名門コースです。

長年、全日空札幌オープンが開催されるなど、北海道を代表するチャンピオンコースとして有名であり、札幌の名士が集う倶楽部でもあります。

 

昭和7年札幌市月寒地区に札幌の有志が集まり、『月寒リンクス』を開場するが、昭和18年戦争の影響により閉鎖されます。

 

昭和33年、月寒リンクスの創設にかかわったメーンバーを中心に現在の輪厚に新カントリー倶楽部を開場、名門コース札幌G倶楽部の新たな歴史が始まったのである。

 

心残りなのが札幌国際カントーリクラブ・島松Cです。

事情があってこの名門コースは9ホールしかプレーしていないのです。

 

森の深~い懐に抱かれた素晴らしいカントリークラブでした。

ぜひ、もう一度訪れて27ホールすべてを回ってみたい、いや絶対回るぞ!

あのゴルフ倶楽部の名門コースを。

 

新興勢力では、栃木県のホウライカントリー倶楽部と静岡県の富嶽カントリー倶楽部

GOLF雑誌などで見ると両クラブともたっぷりと距離があり、広いフェアウエにアンジュレーションがあり難易度の高さが持ち味のようです。

 

深い森に抱かれたホールは、シーンとした静けさが心地良いけど、広く見通しの効くホールはフワーと体に風を感じて、これまた素敵です。

 

他の地方で気になるのが、四国の温泉郷に展開する名門コース、奥道後カントリークラブ

作家柴田錬三郎のために造られた名門コースだそうで、後にも先にも正会員は彼一人なのだと言う。

 

その辺の詳しい事情はよく分かりませんが、湯の里の名門コースで心惹かれるのは花や木がとても豊富なこと。

 

奥道後

 

 

この奥道後カントリークラブは春は梅、さくら、木蓮、花桃、夏はアメリカンデーゴ、秋は百日紅、冬は山茶花、椿など四季を通じて敷地内には常に花が満開なのだそうです。

 

100,000本は下らないと言われる樹木は、すべて植樹だというのだから凄いというべきか驚くべきか。

私は花や木に造詣は深くないがゴルフ場でいろんな木を見るのが好きなのです。

 

特にクラブハウスのレストランから眺める、林や森がゆっくりと暮れてゆく風景には心が休まり大好きです。

 

ビール片手にこのままいつまでも眺めていたいと、最も印象に残るのは福島県の白河国際カントリークラブの森でした。

 

何度見ても飽きる事のない、不思議なほどに魅了される午後の森なんです。

森の奥にヴィーナスや妖精が住んでいるのかも知れない、いつしかそう思うようになっていました。

 

このゴルフ場を開設したのは(株)成井農林で、のちには北海道を代表する難コース・北海道クラッシックも開設している。

 

白河国際CCは丘陵というよりは林間コースの趣を持つホールが多く、バックから打つ那須コースはフェアウェイが広く距離もある堂々たるチャンピオンコース。

 

風呂は弱アルカリ性の天然温泉で、肌がつるつると滑らかになるのが特徴。

コンペを何度も開催しましたがこのコースの天然温泉は、女性に絶大な人気がありました。

 

改築した新クラブハウスはめったに見られない銅板吹きの屋根を持つ、威風堂々たる和風の建物に仕上がったが、間取りの関係でレストランから妖精の森は見えなくなった。

 

森は外に出ると見えるが、やはりビール片手にガラス越しに見るのが風情だ。

白河国際CCはやがて成井農林の手を離れて、他社へ渡ってしまった。

森の妖精もどこかへ行ってしまったに違いない。