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中山美穂のラブレターが原因?小樽の船見坂がオーバーツーリズム!

小樽のゴルフ&観光

坂のまち小樽を代表する『船見坂』

ロマンチックな名前だ。

 

その船見坂がオーバーツーリズムに悩まされている。

中山美穂さんの代表作である映画『Love Letter』が原因かも知れない。

 

市街地の三方を山がとり囲む小樽。

険しい山々は海岸近くまで斜面を引きずっていて、平坦なのは埋め立てした土地だけだ。

 

だから小樽には有名な急坂がいくつもある。

中でも有名なのが『船見坂』だ。

 

いま、その船見坂がオーバーツーリズムに悩まされている。

カメラを構える者とポーズをとる者が道の両端にあふれかえり、交通の妨げとなっているのだ。

 

道路中央で立ち止まり、写真撮影に夢中な観光客もいるから危ない。

このオーバーツーリズムは、『Love Letter ラブレター』の影響が大きい。

 

映画『Love Letter』のあらすじと、観光都市小樽を代表する『船見坂』の現状と歴史をお伝えしよう。

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中山美穂さん主演の『Lov letter』とはこんな映画だ!

 

夜景の美しさで知られる港町の神戸長崎の人に「行ってみたい町はどこ」と聞けば、「小樽」と答える人が多い。

 

同じく港町の小樽で「親近感を持つ町」を聞くと、「長崎」「神戸」と答える人が多い、と何かの本に書いてあった。

 

映画『Love Letter』は、小樽と神戸を舞台に展開するラブストーリーだ。

この映画では『手紙』が重要な役割を担っている。

 

いや、そもそも届く宛のない一通の手紙が配達されなければ、物語は始まらなかった。

 

国道として開発され現存しない住所へ送った手紙を、同姓同名の別人が受け取ったことで、ストーリーが動き出したのだ。

 

小樽で国道といえば5号線。

そう、国道5号線は船見坂と交わっているのだ。

 

『Love Letter』は1995年に公開された。

 

一人二役を演じた主演の中山美穂さんはブルーリボン賞、報知映画賞、ヨコハマ映画祭、高崎映画祭などで主演女優賞を受賞。

 

さらに第19回日本アカデミー賞では、優秀作品賞や共演した豊川悦司が優秀助演男優賞を受賞している。

 

1999年には韓国と台湾でも公開された。

特に韓国で大ヒットし、140万人の観客を動員している。

 

韓国で大ヒットした日本初の映画と言われ、『Undo』『花とアリス』などの岩井俊二監督がメガホンをとった邦画史の1ページを飾る秀作だ。

 

他の主な出演者は酒井美紀、柏原崇、范文雀。

『范文雀』とは懐かしい名前だ。どうしているのだろう。

love Letterのあらすじとテーマは?

物語は亡き恋人への想いから始まる。

手紙を通じて過去と現在が交錯する、不思議な展開で進む映画だ。

 

主人公の渡辺博子は神戸に住んでいるが、2年前に山で遭難した恋人が忘れられない。

そんな中、婚約者だった藤井樹の三回忌が営まれる。

 

式が終わり彼の生家に立ち寄った博子。

樹の母から見せられたのは、彼の中学時代の卒業アルバムだった。

 

アルバムには北海道小樽市の住所が書かれていた。

中学生だった樹は小樽に住んでいたのだが、その住所は国道として開発され、今は住む人がいない。

 

住む人がいないので届くはずもないと知りながら、博子は小樽の住所へ手紙を書いた。

しかし、考えても見なかったことが起こる。

 

国道として開発され現存しない住所へ送った手紙を、同姓同名の別人が受け取ったのだ。

しかも、相手は女性だった。

 

こうして、ストーリーが動き出すのだ。

届く宛のない一通の手紙が配達されなければ、物語は始まらなかった。

 

「お元気ですか。私は元気です。」

そんな書き出しの手紙に返事が届いたのだ。

 

その瞬間、不思議なつながりが始まるのを感じて、客席は静かな驚きと興奮に包まれて行く。

不思議な運命を予感させる最初の山場と言えよう。

 

手紙を通じて過去の思い出が交錯し、主人公をはじめ登場人物たちは喪失と向き合いながら新たな一歩を踏み出していくのだ。

 

小樽を舞台にしたシーンでは雪景色の静けさが強調され、端麗な物語の展開に大きな役割を果たしている。

 

細やかな感情の描写としっとりと静かな雪景色が融合し、テーマである『喪失と再生』のメッセージを強く感じさせるのだ。

 

「Love Letter」のテーマは、喪失と再生、そして記憶とつながりについてであろう。

 

この作品では、大切な人を失った後も、過去の思い出や手紙を通じて感情や関係が再び形を変えて息づく様子が描かれている。

 

博子と物語の他の登場人物たちが、それぞれの方法で喪失を乗り越え、希望を見つけていく過程が特に胸に響く映画だ。

 

静かな雪景色が、このようなテーマに寄り添いつつ映画全体に端麗で優美な雰囲気を作り出している秀作だ。

 

岩井俊二監督は『Love Letter』で、視覚的な美しさや繊細なストーリーの進行を通してテーマを見事に表現している。

 

例えば、登場人物の孤独感や喪失感を際立たせるための、雪の静けさやそこに広がる深閑とした風景描写が実に巧みだ。

 

また、手紙というシンプルなツールを通じて、時間と空間を超えた人と人のつながりが描かれる点も印象的だ。

 

キャラクター同士の微妙な感情の揺れを細やかに捉え、言葉よりも表情や仕草で心情を語る場面が多いのも特徴といえよう。

 

この手法が観客に深い共感を呼び起こし、作品全体を感動的にしている。

 

映画に登場する小樽と神戸はどちらも港町で、異国情緒あふれる街並みが特徴だ。

小樽運河や神戸の異人館街など、漂う歴史的な雰囲気も似ている。

 

そしてどちらも食文化が豊かで、新鮮な海鮮が美味しい。

美味しいものを求めて、映画の舞台となった町を旅するのは最高の贅沢だ。

 

『Love Letter』の魅力、そして二つの街の素敵な共通点に心惹かれたのなら、ぜひ訪れてみよう。

あなたはどんな喪失をどのように再生するか?

小樽の船見坂はラブレターでオーバーツーリズムになった?

最大15%の勾配を持つ船見坂は、小樽でも有数の坂だ。

旭展望台のある三角山麓から運河館の裏手まで、海に向かって真っすぐに下っている。

 

船見坂が行きつく運河館の目の前には小樽運河が静かに流れ、中央橋を渡ると粛然とたたずむ小樽港だ。

 

坂の中ほどを横切る国道5号線あたりから勾配が緩くなり、その国道を挟んで山側に三角市場、海側には中央市場が軒を連ねる。

 

三角市場はもうずいぶん前から観光客専用で、中央市場は1946年の組合結成以来、地元民の台所として親しまれてきた。

 

船見坂と国道が交わる交差点から、わずか150mほど札幌方面に歩くと、JR小樽駅にたどり着く。

まさに小樽の中心街にあり、交通は至便だ。

 

坂のてっぺんや途中から眺める風景も抜群だ。

 

眼下の小樽港と石狩湾はいつも二色の青にくっきりと色分けされ、右手には暑寒別山系が雄冬岬へと連なり、季節によって色合いを変えながら、しかし悠然とした佇まいを崩すことはない。

 

何と贅沢な景色だろう。

この穏やかな眺めは、一瞬のうちに浮世の煩悶を忘れさせる。

 

2024年春からは、小樽港第三号ふ頭にクルーズ船が停泊するようになった。

 

船見坂のほぼ真下にイギリス、イタリア、ポルトガル、スペイン、そして我が日本などの豪華客船を見ることができるのだ。

 

それでなくとも絶景なのにクルーズ船の豪華絢爛と異国情緒が加わると、あたりは途方もないロマンティックな雰囲気に支配されていく。

 

優雅、茫洋、泰然、郷愁、悠久、いろんな思いが入り混じる心の波動に耐えがたいほどの展望。

豪華客船の船出には哀愁の色さえ漂うのだ。

 

船見坂自体が観光客で雑然としても、船見坂から眺める風景は喧噪と無縁だ。

観光客が撮影スポットに選ぶのも無理からぬ話だろう。

 

この透き通った美景が広くバレてしまった今、オーバーツーリズムに悩まされるのは必然なのかもしれない。

 

しかし、オーバーツーリズムの原因は類まれな眺望だけではなく、映画の影響も否定できない。

 

船見坂はこれまでロケ地として多くの映画やドラマに登場してきた。

中でも映画『Love Letter』の影響が大きいと思われる。

 

映画は、2024年12月に急死した中山美穂さん主演で、1995年に公開されている。

 

中山美穂さんはアイドルだったころから韓国、台湾、タイ、香港など、東南アジア諸国で抜群の人気を誇っていたのだ。

小樽の観光名所、オーバーツーリズムの船見坂ができたきっかけとは?

明治37年(1904年)は、函館本線の小樽~函館間が開通した歴史的な年である。

そして小樽の中心街、稲穂町で大火災が発生したのもこの年であった。

 

2,000戸以上が消失する悲惨な火災だ。

この火事は小樽市民に大きなショックを与えた。

 

中央通りと竜宮通の間に、もう一本道路を建設すべきとの声が次第に高まる。

火災が発生したら被害を食い止めるために、延焼を防がなくてはならない。

 

信じられな程のスピードで繫栄する小樽には、防火帯としての広い道路が必要だった。

好景気に沸く小樽は、苦も無く新道路を完成させた。

 

こうした経緯により船見坂は誕生するのだが、本来の目的以上に大きな影響を及ぼすことになる。

 

坂の周辺が宅地として開発されたのも、その一つだ。

三角山の斜面には急ピッチで多くの家が建ち、やがて富岡の町名が生まれる。

 

一帯は高台だから、見晴らしが抜群だ。

特に内地から小樽へ移住して財を成した人々が、先を争って豪邸を建築する。

 

眼下には、港を忙しく出入りする多くの帆船があった。

帆を下ろして、しばしの停泊に憩う北前船の姿もある。

 

視界の左手には赤岩山と祝津の岬がスーっと日本海にせり出し、右に目を転じれば暑寒別山系の端然たる異形が迫りくる。

 

どこまでも青々と輝き、早春にはニシンの群れが押し寄せる豊饒の海。

船見坂から望む石狩湾を抜きに、小樽の繁栄も富も語れない。

 

この絶景を手に入れることは、即ち小樽での成功を物語るのだった。

三角山の麓、船見坂周辺はたちまち高級住宅地となったのだ。