今どき、このような規約を掲げるゴルフ場をあなたはご存じですか?
こんなコースで、死ぬまでに一度はプレーしてみたい。
・クラブハウスに個室がまったくない
・予約システムがなく原則会員は、メンバーがそろったら順次スタートする
・『プロゴルファー』は出入り禁止になっている
・報道関係者、SP、秘書、運転手などはクラブハウス内への立ち入り禁止
・いつでもトーナメント開催が可能なほど完ぺきなコースコンディションを保つ
この超名門コースで起きた、あの田中角栄と白洲次郎の一触即発のやり取り。
汗っかき角さんならではの、面白エピソードなど話題が満載。
軽井沢ゴルフ倶楽部での田中角栄と白洲次郎
日本でプレーするのが一番大変なゴルフ場は、軽井沢ゴルフ倶楽部ではないだろうか。
「メンバーになるなんて望みはしないが、せめて一度はラウンドしてみたい」
そんな戯れ唄が思わず口を突いて出るのが、軽井沢ゴルフ倶楽部です。
まずこの避暑地の超名門コースがさらりと掲げる、他の倶楽部では見られない特徴をもう一度じっくり見てみよう。
◎クラブハウスに個室がまったくない
◎予約システムがなく原則会員はゴルフ場到着後、ラウンドするメンバーがそろったら順次スタートする ◎会員の同伴または推薦があれば、夏の一時期を除きビジターのラウンドは可能だが『プロゴルファー』は出入り禁止になっている ◎明日にでもトーナメントが開催できるくらい、つねに完ぺきなコースコンディションに仕上げられている ◎新聞記者などのメデア関係者、SPなどの警備関係者、秘書や運転手などプレーヤー以外のクラブハウス施設への立ち入りは禁止になっている |
メンバーシップが確立されているのです。
この規範の尊守を突きつけられ、プレーを断念して引き上げざるを得なかった、戦後の総理大臣が二人いると聞いた。
一人は総理の椅子に座ったばかりの、他ならぬ田中角栄でした。
彼は暑い7月の日曜日、アメリカの駐日大使を車の乗せ軽井沢ゴルフ倶楽部の門をくぐった。
出迎えたのは、当時の理事長である白洲次郎。
「日曜日はメンバーオンリーですので、プレーはご遠慮願います」
白洲理事長は得意の流暢な英語で、大使に丁重にお断りしたのであった。
一触即発の緊張した空気が周囲を支配した?
いやいや、これには小金井CCでは9ホール空けさせてプレーする田中角栄も、なす術がなかったようである。
規則は規則、原則は原則であり、相手が誰とて例外は一切認めない。
敗戦の日本にあって、ダグラス・マッカサー率いるGHQ相手に一歩も引かずに
「従順ならざる唯一の日本人」
と嘆かせた、さすがプリンシプル(原則)の男、まさに面目躍如ですね。
注:現在はゲストがプレーできる日曜日もあります。
ちなみに軽井沢ゴルフ倶楽部の8月トップシーズン料金は曜日を問わず、46,900円です。
プレーを断られた戦後の総理大臣がもう一人いたようです。
やはり、白洲理事長の時代でした。
SPを連れて来たのでプレーを断られたと伝わっているようだが、実際にはプレー中SPを一緒に回らせろと迫ったので、規則を盾に断ったのが真相だろう。
この総理、名門コース軽井沢ゴルフ倶楽部でSPなしにプレーできないほど身辺に危険を感じていたのだろうか、それともSPの入場を断られて面子を潰されたと思い、怒り心頭で引き揚げたのであろうか。
この白洲理事長、頑固で規則に厳しいだけかというと、そうでもなかったようなのだ。
田中角栄をめぐっては微笑ましいと言うべきか、滑稽と言うべきか、もう一つのエピソードがある。
愛すべき男、田中角栄は軽井沢ゴルフ倶楽部のメンバーとなっても問題児であった。
想像しただけで、思わず吹き出しそうになるほど面白い男なのだ。
ある年の夏、名門・軽井沢ゴルフ倶楽部理事らの間で汗っかき角さんの腰タオルが問題になった。
異常なほどの汗をぬぐうために角さんは、腰にタオルを垂らしてプレーするのだった。
何人かの理事が品位を欠くとして、これをやめさせるべきと主張したのです。
これに対して白洲理事長は
「角さんからタオルを取りあげてどうする。
汗っかきの角さんに腰タオルは必需品だよ」
一笑に付して、相手にしなかったらしい。
白洲次郎の人間として奥の深さを示すエピソードであるが、一方の角栄も懐の深さは伝えられている通りで、軽井沢ゴルフ倶楽部は小金井カントリー倶楽部同様に愛し続けたと伝えられている。
最大の同盟国アメリカ大使を伴って時の総理が願い出ているのに、プレーを断られたのだ。
並の人間なら、面目丸つぶれで怒り心頭、恨み骨髄であってもおかしくはないであろう。
プリンシプルを決して曲げない理事長と倶楽部の毅然たる姿勢に、角栄は大いに感じ入るものがあったのだろうか。
角さんはせっかちであったが、しかし一方では実に大らかで、偉ぶることのない人だったらしい。
角さんも白洲次郎もプレーが早く、アドレスをとるとすぐに打っていくところは共通していたらしい。
しかし、前に遅い組がいても全く怒らないのが角さんで、
「おっ、えらい遅いのがいるな」
というくらいで、良い意味での田舎育ちの大らかさを感じさせたのだと言う。
対して、英国仕込みのスマートさと厳格さが白洲次郎の持ち味であった。
プレーの遅い人間には、たとえ相手が誰であろうと容赦なかったのだと言う。
「おい、ここはお前ひとりのコースじゃないんだぞ」
田中角栄と白洲次郎、生い立ち、生きざま、性格、まるっきり違う二人であるが、共通点が二つある。
一つは戦後のアメリカを相手に戦った男である。
田中角栄は日本の高度成長期に貿易戦争とまで言われた、日米繊維交渉を通産大臣時代に米国本土へ乗り込み決着さてて名を挙げた。
戦後、米国一辺倒からの脱出を試みた唯一の総理大臣とも言えるかも知れない。
白洲次郎とアメリカの戦いはここで語るまでもない、敗戦直後、吉田茂首相に請われて進駐軍GHQと真正面から対峙した男だ。
もう一つ共通点は、女性ですね。
角栄の好色ぶりはあまりにも有名。
白洲次郎も財界重鎮に
「白洲さんは悪い人ではないが、女にモテ過ぎる」
と嘆かせるほどであった。
軽井沢ゴルフ倶楽部の入会は、これを持っていることが絶対条件!?
田中角栄と白洲次郎が愛した、軽井沢GCのドレスコードは?
『Play fast』と書かれた軽井沢G倶楽部のシャツ。
白洲が理事長時代にTシャツにこのように書いて避暑地のゴルフコースでプレーしていたようだ。
『すべてのゴルファーは平等である。
誰かひとりが時間を多く使うことは許されない。
打数が多い者は、一打にかける時間を短くするべきだ。
下手なゴルファーがグリーン上でラインを読むなどもってのほかであり、長すぎるアドレスもミスのもとだ』
これが彼のゴルフ哲学であり、軽井沢G倶楽部の運営に大きな影響を及ぼしている。
そして白洲が『Pray fast』と書かれたTシャツを着たのは、軽井沢はリゾートであるから服装があまり堅苦しくてはいけない。
Tシャツでも着てノビノビ光を浴びながら芝生と戯れよう!
彼はその思いを実践したのです。
その精神を今に伝えるのが写真のシャツだ。
だからと言ってゴルフの名門倶楽部、軽井沢G倶楽部のドレスコードを甘く見てはいけない。
『Pray fast』は健在であるが、Tシャツ姿のプレーヤーを今は見ることはない。
ここは、東京オリンピックの競技会場となる霞ヶ関カンツリー倶楽部のように、ホームページ上でドレスコードを公表しているわけではないので、初めて行く人は服装にはとても気を使うようですね。
昨夏、軽井沢G倶楽部で初めてプレーしたという女性に聞いたのですが、ネットのサイトで探してもわからなかったので、同伴してくださるメンバーさんに教えてもらったとのことでした。
それによるとやはり、クラブハウス内のジャケット着用は当然で、女性であっても男性であっても派手な色のシャツやボトムは避け、折り返しのある襟付きが必須とのことだった。
この避暑地の名門コースは開場当初から現在に至るまで、皇族や旧華族とは切っても切れない関係にあるので、彼女はプレーが決まった数週間前から期待と緊張が交錯していたようです。
あなたも、もしプレーする幸運に恵まれましたなら、エチケットとマナーにはくれぐれもご注意ください。
彼女はアンダーウェアにも気を使って、控え目な女子の服装で名門コース入りしましたが、どうやら合格だったとのことで、プレーに集中できたと喜んでいました。
そして、彼女が驚いたのはスタート1番のティーグラウンドに『素振りはしないよう気を付けましょう』と立て札の表示があったことだそうです。
避暑地の名門コースに『Pray fast』の精神は脈々と受け継がれているのです。
もう一つ、他の倶楽部では考えられない、びっくりすることをレストランで聞いたのです。
お昼の食事メニューが毎日変わるのだと言う。
6から7種類くらいある今日のメニューが、明日はすべて変っていると言うことですね。
避暑地の8月ともなれば、家族連れや1週間毎日のようにこのゴルフの名門コースへやって来るメンバーもいるので、飽きさせないために変化をつけるのだそうです。
ビジターで連日倶楽部に来る人は少ないので、それに気が付く方はあまりいないのだと、レストランの方が教えてくれたのでした。
さすがゴルフの名門倶楽部、お口の肥えた別荘族のご婦人たちをも満足させる、まさにメンバーのための倶楽部なのです。
ちなみに軽井沢G倶楽部の経営形態は、株式会社でも一般社団法人でもありません。
『任意団体』という日本国内では非常にまれな運営形態を維持しています。 任意団体とは会員により会員のために運営されるの組織のことです。 関西の名門で軽井沢GCと同じくらいプレーも入会も最難関と言われる、廣野G倶楽部が同じく任意団体です。
軽井沢G倶楽部の規約に次のような条項があります。 『会員ノゴルフ練習ニ供シ兼テ其ノ親睦ヲ図ルを目的トス』 この倶楽部は会員の練習と親睦のために設立されたと言えます。 これはとてもユニークな規約で練習のためを謳う倶楽部は、全国でも他に聞いたことがありません。 試合や競技は眼中になかったのでしょう。 |
軽井沢でよく聞くのが「旧軽」「新軽」で、鹿島建設グループの所有となっている12ホールのゴルフの名門コースが「旧軽」で、今回のテーマである軽井沢G倶楽部を「新軽」と呼んでいます。
これ、歴史的にみると二つの倶楽部の順序、実は本来逆なのです。
大正8年8月別荘族の間に
「軽井沢にもカントリー倶楽部を造ろう」
と話が盛り上がり、野澤組所有の別荘地である離山の麓にある7万坪余を借り、9ホールの計画がスタートしたのです。
設計は英国セントアンドリュース・リンクスの近くで育った、プロゴルファーのトム・ニコルで、発起人には日本人が8名で外国人9名が加わっていたと伝えられている。
大正10年夏に6ホール、11年夏には9ホールが完成し3447ヤード・パー36の軽井沢G倶楽部が開場したのです。
フェアウェイは野生の野芝、グリーンは砂を固めたサンドグリーンで全国では7番目のカントリー倶楽部でした。
当初はクラブハウスはなく、昼食はプレーを中断して別荘に戻るか出前をとったようです。
やがてメンバーも少しづつ増え、18ホールを望む声が高まります。
成沢地区南ヶ丘に46万坪の土地が売りに出たのを機に、8人で発起人会を結成し新ゴルフの名門コース建設案が企画される。
徳川圀順、近衛文麿が発起人代表を務めた。
この土地の地形は誰の目にもリンクス建設に最適であり、素晴らしいレイアウトのゴルフの名門コースができることを予感させ希望はふくらんだ。
昭和5年3月クラブ移転とクラブハウス併設が正式に決まる。
土地代は発起人が中心となりメンバーが一時的に立て替えて購入した。
事業計画は46万坪を別荘地域とカントリー倶楽部区域に2分し、別荘地を売却した収入で土地代を返済し残りを倶楽部の建設費とすることを柱としていた。
生じた利益はすべて倶楽部に寄付し、万が一欠損が生じた場合は発起人を中心に少数の有志が補填する、と発起人会の会則に明記されていた。
このころ、カントリークラブ建設をビジネスととらえる者は誰一人いなかったのである。
昭和7年、軽井沢G倶楽部は成沢地区南ヶ丘に18ホールを開設して移転を実現したのであった。
プレーした方の解説によると距離も決して短くはなく、かなり戦略性の高いクラブだとのことである。
記録によると当時の会員は200名弱で名誉会員の皇族12名、細川・近衛・鍋島・徳川などの華族30名、三井一族が5名で三菱からは岩崎小弥太1名であったようだ。
移転当初はかなりクローズな雰囲気の倶楽部であったが、戦後は作家などの有名人、著名人が入会して徐々にオープンなスタイルに変化したようだ。
そうは言っても、庶民にはあらゆる意味で超難関倶楽部であることは間違いない。
残された離山の9ホールは地主の野澤組がパブリック『旧軽井沢クラブ』として経営していたが、昭和18年、戦況の悪化で閉鎖するに至ったのです。
敗戦後は、米軍第7騎兵師団が接収し乗馬訓練や飛行機の滑走訓練に使われていました。
戦後、軽井沢の別荘地が分割処分の危機にさらされていた時『旧軽G倶楽部の保存』にいち早く動いたのが鹿島守之助でした。
鹿島建設は昭和22年旧軽井沢跡地を丸ごと買収し、昭和24年には出資者100人を募り、資本金100万円の『旧軽井沢G倶楽部』を設立し、別荘地の開発にも本腰を入れ出したのです。
つまり、新軽といわれる軽井沢G倶楽部の跡地が旧軽なんです。
鹿島が母体の旧軽はその後、アウト6ホール、イン6ホールの計12ホールに増設したのですが、避暑地のゴルフ倶楽部の会員権の相場がすごい。
12ホールでありながら世間の評価は高く、小金井CCには及ばないが3000万円近い値段をつけているようです。
軽井沢の人気は衰えることを知りません。
もう一方の避暑地の名門コース、軽井沢ゴルフ倶楽部は市場での会員権売買はできません。
個人会員だけで相続もできませんので退会者がが出て、欠員がある程度の数に達したら随時補充募集をしているようです。
バブル全盛期も崩壊後も関係なく、2000万円前後で募集販売しているとの噂を聞いてことがありますが、募集要項詳細についてはわかりません。
どちらにしても、募集人数が少ないせいもあって、補充人数はすぐに埋ってしまうのだはないでしょうか。
婦人会員や家族会員の公募では、開始した当日に定員に達することもあったようです。
ゴルフ倶楽部名門中の名門、『新軽』『旧軽』ともに一度はプレーしてみたいもだ。
ソフトバンク・孫正義氏は軽井沢ゴルフ倶楽部のメンバーか?
小金井カントリ倶楽部のメンバーになり損ねた孫正義さんが、以前から軽井沢ゴルフ倶楽部のメンバーになりたがっているとのうわさがあります。
ネットではメンバーになったとの情報もありますが、ご存じのように軽井沢ゴルフ倶楽部は情報を公開していません。
ダメもとで問合せを試みいましたが、シーズンオフということもあり連絡は取れませんでした。
Twitterでこんなつぶやくを見つけました。
ソフトバンクの孫さんが軽井沢ゴルフ倶楽部に入りたいらしいが…孫さんを入会させれば倶楽部に幻滅してしまう。白洲先生が存命なら孫正義という人間を是としたか非としたか…軽井沢ゴルフ倶楽部の品位が問われる。辺恒に孫氏、最近はロクな財界人が出ない。怒りに濁点で驕り…
— 北野公康 (@kkimiyasu11111) November 17, 2011
これでは入会できたのかどうかわかりません。
このTwitterの主に問合せしてますが、まだ返事がありません。
もし、返信があったなら、あるいは別なルートで確信のある情報が得られたら、この記事で報告いたします。
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