霞ヶ関カンツリー俱楽部は埼玉県最初のゴルフ場にして日本初の36ホール、さらには井上誠一が設計に関わったコース第1号でもあるのです。
1929年(昭和4年)10月6日に東コース18ホールがオープンしました。
1932年(昭和7年)には、西コース18ホールがオープンし、念願の36ホールが完成を見ます。
これにより日本初の36ホールを有するゴルフ場が誕生したのです。
西コース増設では井上誠一が設計助手として、初めてゴルフ場建設にに携わりました。
霞ヶ関カンツリー倶楽部の歴史は、日本ゴルフ界の歴史と表現してもオーバーではありません。
霞の歴史が面白い。
霞ヶ関カンツリー俱楽部は埼玉県で最初にオープンしたゴルフ場!
1929年(昭和4年)10月6日開場の霞ヶ関カンツリー俱楽部。
安倍首相とトランプ大統領のグリーン会談が行われ、東京オリンピックではゴルフ競技会場となるなど、何かと話題を提供してくれます。
埼玉県では最初のカントリークラブでしたが、当初は東コースの18ホールだけでオープンします。
その東コースの設計を手掛けたのが藤田欽哉、赤星四郎の二人。
翌年には早くも改造に着手します。
改造は、あの世界的に有名なチャールズ・H・アリソンの設計と監修のもとに行われました。
チャールズ・H・アリソンはイギリス出身で、アゴが深く独特の形状の難しいバンカーをグリーン周りに配置することで有名なデザイナーです。
都内の駒沢にあった東京ゴルフ倶楽部が埼玉県朝霞に移転する際に招かれたアリソンが、アゴのセリ出た特徴的なバンカーをつくり、当時の日本人ゴルファーに大きな衝撃を与えました。
以降、日本ではアゴがセリ出た深いバンカーは誰のデザインであろうと、アリソンバンカーと呼ばれるようになったのです。
さらに2年後の1932年(昭和7年)6月12日には西コースも開場し、日本最初の36ホールを持つカントリークラブの誕生となりました。
西コースの造成では、井上誠一が設計助手として関わっています。
そして井上は、東コース改造で日本を訪れていたアリソンと会う機会を得たのです。
なお、敗戦後日本を占領したGHOと米空軍により、霞ヶ関カンツリー俱楽部は摂取されてしまいます。
ようやく返還されたのは、1952(昭和27)年のことでした。
返還後、東コース18ホールの設計監理で復旧に尽力したのが井上誠一です。
続いて井上は、新西コースの設計に着手します。
こうして1954(昭和29)年には36ホールすべてが、再開される運びとなりました。
戦後、霞ヶ関カンツリー俱楽部は東、西コースともに、井上誠一の設計によって再生されたのです。
井上誠一は昭和5年、霞ヶ関カンツリー俱楽部でアリソンと出会います。
この時、井上誠一は初めて対面したアリソンの仕事ぶりや斬新なデザイン性に、大きな感銘を受けたと後に語っています。
この出会いは、井上誠一がゴルフ場設計に情熱を燃やす、きっかけになりました。
実際にその後、井上は数々の名コースを日本中に誕生させるのですが、アリソンバンカーを配置するのが特徴の一つとなっています。
霞ヶ関カンツリー俱楽部は篤志家の土地提供によって完成した!
霞ヶ関カンツリー俱楽部は、篤志家からの土地提供により誕生しました。
黒須銀行創業者の発智庄平らは、入間郡霞ヶ関村(1955年に川越市へ編入)の土地を倶楽部へ寄贈します。
当時はカントリークラブ建設や公共事業に土地を無償で寄付する人が多かったようです。
こうしてゴルフ場建設に情熱を燃やす人々が集まり、多くの努力のよって開場にこぎつけます。
霞ヶ関カンツリー俱楽部は戦後一時、米軍に接収されたこともありますが、目出度く開場90年を迎えました。
霞ヶ関カンツリー俱楽部はカナダカップの開催で一躍有名に!
過去、数々の国際大会を開催してきた霞ヶ関カンツリー俱楽部ですが、なんと最初の国際大会により、その名を全国にとどろかせることになったのです。
1957年(昭和32年)には、日本で初めてのワールドカップ(第5回大会)が開催されました。
当時は「カナダカップ」と呼ばれていた、国別対抗戦です。
日本国内で開催された初の国際ゴルフ大会は、東コースを舞台に競技は熾烈で劇的な展開を見せたのでした。
日本プロゴルフ協会が発足したばかりでもあり、実力的に誰も日本選手が優勝するなど想像もしていませんでした。
ところがです、サム・スニードやピーター・トムソンなど世界各国の強豪を向こうに回して、2日目に日本チームが大逆転。
最終日は当時としては驚きの2万人近いギャラリーが詰め掛け、TV史上初めてゴルフ競技が日本テレビによって中継されたのです。
なんと、あれよあれよと言う間に中村寅吉が個人優勝、中村寅吉と小野光一組が見事に団体優勝を果たしてしまうのでした。
これによって、日本のゴルフブームに火が付き、霞が関カンツリー俱楽部も一躍全国的に有名になったのです。
その後、霞ヶ関カンツリー俱楽部では、幾度となく名勝負が繰り広げらてきました。
2021年にはオリンピックも開催されました。
日本オープン選手権を、1933年(昭和8年)の第7回大会以来、21回大会、60回大会、71回大会、と4度も開催しています。
1999年には日本女子オープン選手権第32回大会も開催されました。
1965年と1977年には日本アマチュア選手権。
1971年には日本ジュニア選手権。
2010年には第2回アジアアマチュア選手権もそれぞれ開催。
2014年には日本スポーツマスターズ埼玉大会の会場になりました。
東京オリンピックゴルフ会場・霞ヶ関カンツリー俱楽部東コースのレアウト
霞ヶ関カンツリー俱楽部東コース
【OUTのヤーディジ】
【インコースのヤーディジ】
【OUTコースレアウト】
【INコース】