ゴルフ場設計の巨匠、チャールズ・ヒュー・アリソン(Charles Hugh Alison)。
彼の存在は、日本ゴルフ史において特別な意味を持っています。
昭和初期、日本ゴルフ界の近代化を牽引すべく来日したアリソンは、単なる「美しいコース作り」ではなく、戦略性と景観美を兼ね備えたコース設計という新たな価値観を日本にもたらしました。
チャールズ・アリソンのプロフィール
アリソンは1883年、イギリスに生まれました。
幼い頃からスポーツに親しみ、特にゴルフへの情熱を深めます。
大学卒業後、名設計家ハリー・コルトと出会い、ゴルフコース設計家としての道を歩み始めました。
後に、アリソンはコルトとの共同事務所「コルト・アリソン・モリソン社」を設立。
世界各地で名コースを生み出していきます。
なぜアリソンは日本に来たのか?
1929年ころから日本ではゴルフ人気が急速に高まり、本格的な近代コースへの変貌が求められていました。
特に、東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの新設プロジェクトに際し、日本ゴルフ協会は「世界基準のコース作り」を目指します。
そこで白羽の矢が立ったのはアリソンでした。
彼は要望を快諾します。
チャールズ・アリソン
この来日をきっかけに、アリソンは全国各地を巡り、数々の名門コースに助言・設計を行うことにななったのです。
アリソンが日本で手がけた主なコース
☆川奈ホテルゴルフコース・富士コース
1936年に開場した富士コースは世界ゴルフ100選に選ばれるなど、国際的な評価も高いコースです。
多くのトーナメントを開催し、ゴルファ憧れのコース。
☆廣野ゴルフ倶楽部(兵庫県三木市)
1940年開場。
アリソン設計の最高傑作と称されるコースで、世界的にも高い評価を誇る。
☆鳴尾ゴルフ倶楽部(兵庫県西宮市)
1920年創設の伝統校。
アリソンのアドバイスにより、戦略性と景観美を備えたコースへと改修された。
☆茨木カンツリー倶楽部 西コース(大阪府茨木市)
関西を代表する歴史あるクラブ。
アリソンの影響を受け、バンカー配置とフェアウェイ設計が一新された。
☆東京ゴルフ俱楽部朝霞コース
現存しませんが、現在の東京ゴルフ倶楽部への影響は非常に大きなものがあります。
他には
霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県)
我孫子ゴルフ倶楽部(千葉県)
横浜カントリークラブ(神奈川県)
大利根カントリークラブ(茨城県)
鷹之台カンツリー倶楽部(千葉県)
などがコース改造でアドバイスを受けています。
なお、東京都小平市に所在する、ゴルフ会員権が日本一高いことで有名な小金井カントリー倶楽部とアリソンの関係については諸説あります。
「小金井カントリー倶楽部とアリソンの関係」は、
✅ アリソンは小金井カントリー倶楽部の「設計には直接関与していない」
✅ しかし、アリソン来日中に小金井の土地視察や設計に対する助言を行った可能性はある
というのが、現在の専門家たちに多く見られる見解です。
・小金井カントリー倶楽部(現コース)は主に赤星四郎(日本人設計家)によるもの
・アリソンは本格設計には入っていない
・ただし、初期構想段階ではアドバイス程度に関与した可能性がある
ということでしょう。
チャールズ・ヒュー・アリソンの設計哲学
●「自然地形を活かす」
●「単純な直線よりも緩やかなカーブを多用」
●「フェアウェイからグリーンへのドラマチックな変化」
●「巧妙なバンカー配置による戦略性の強化」
など、現代ゴルフ設計の基礎となるものばかりです。
アリソンバンカーとは?
アリソンの名を語る上で欠かせないのが、通称「アリソンバンカー」。
これは、口を大きく開けた深いバンカーで、プレイヤーに圧倒的なプレッシャーを与えます。
廣野や鳴尾のグリーン周りに巧みに設置され、単なる美観ではなく、ショットの正確性を徹底的に求める仕掛けとなっています。
現在でも多くのコースがアリソンの思想を取り入れた、アリソンバンカーを採用しています。
アリソンがもたらした日本ゴルフ界への影響
アリソンの設計思想は、それまでの「ただ芝を敷き、穴を掘っただけのゴルフ場」から、「戦略的に考え、自然と対話するゴルフ場」への大転換を促しました。
彼の影響を受けたコースは、現在でも日本国内のゴルフランキング上位に名を連ね、世界的にも高い評価を受け続けています。
アリソンは日本を代表する巨匠・井上誠一にも大きな影響を与えました。
次章では、井上誠一とチャールズ・アリソンの運命的出会いについて述べます。
井上誠一とチャールズ・アリソン|運命の出会いと飛躍
日本ゴルフ界を代表する名設計家、井上誠一。
彼のデザイナー人生において、チャールズ・アリソンとの出会いは決定的な転機となりました。
霞ヶ関カンツリー倶楽部・西コース改造での出会い
1930年、東京ゴルフ倶楽部の移転に伴い、霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県川越市)が新設されました。
このとき、まだ若き井上誠一は、コース改造に携わる現場監督補佐のような立場でプロジェクトに関わっていました。
そこへ招聘されたのが、世界的コース設計家チャールズ・アリソンです。
アリソンは西コースの大規模な改造に助言を与え、
その際に井上誠一は、アリソンの設計思想を間近で目にする機会を得たのです。
アリソンから受けた衝撃と学び
アリソンの設計は、それまで日本にあったゴルフ場とはまったく異なるものでした。
- 自然の地形を最大限に活かす
- 単純な直線を避け、フェアウェイに柔らかなカーブを持たせる
- グリーン周りに巧妙に配置された深いバンカー(通称アリソンバンカー)
- プレイヤーにショット選択を常に考えさせる戦略性
井上誠一は、これらの考え方に深い衝撃を受け、
「ゴルフ場は自然との調和と挑戦の場である」という理念を心に刻みます。
アリソン流を日本流へ昇華させた井上誠一
アリソンの影響を受けた後、井上誠一は独自の設計哲学を育んでいきます。
彼は、単なる欧米流の模倣に留まらず、日本の風土や四季、土地の微妙な表情を読み取りながら、
より繊細で詩情豊かなコースデザインを展開しました。
代表作には、
- 武蔵カントリークラブ(静岡県)
- 東京よみうりカントリークラブ(東京都)
- 葛城ゴルフ倶楽部(静岡県)
- 戸塚カントリー倶楽部(神奈川県)
- 日光カンツリー倶楽部(栃木県)
- 大利根カントリクラブ(茨城県)
- 大洗ゴルフ倶楽部(茨城県)
- 札幌ゴルフクラブ輪厚コース(北海道)
など、など多数の傑作を残しています。
いずれも「自然と融合した戦略性」を高く評価されている名コースばかりです。
師から受け継ぎ、超えた先に
井上誠一は、チャールズ・アリソンとの出会いを通じて、ゴルフ場設計家としての本質を学びました。
そして、自らの感性と日本の自然美を融合させ、「世界に誇れる日本独自のゴルフコース」を築き上げたのです。
アリソンから受けた知恵と刺激は、井上誠一の中で静かに燃え続け、やがて日本ゴルフ史に輝く偉業となって結実しました。
まとめ:チャールズ・アリソンの偉業
チャールズ・アリソンは、単なる設計家ではなく、日本ゴルフ界に新たな「考えるゴルフ」という文化を植え付けた先駆者でした。
彼が残した数々の名コースは、今なおゴルファーたちに思考と選択を迫り、同時に感動と悔しさも与え続けるのです。
静かなる情熱と、鋭い知性の結晶。
それが、チャールズ・アリソンという人物だったのです。