何が規格外の大谷翔平選手を作り上げたのか?
野球に向き合う熱量でしょう。
そしてもう一つ、心から野球を楽しむ姿勢。
彼は『投げる』『打つ』『走る』を本当に楽しんでいます。
大谷選手の野球に打ち込む熱量、そして楽しむ姿勢は少なくとも高校時代から常人レベルではありませんでした。
日本でプロ野球選手になっても、アメリカへ渡りメジャーリーガーになっても、その二つは不変です。
少しばかりの活躍で知名度が上がると、天狗になってしまうスポーツ選手をよく見かけます。
しかし、彼からは全くそのような気配は感じられませんね。
野球が大好きで野球を心から楽しみたいから、天狗になる理由もヒマもありません。
天狗になる人間は、どこかで初期の目的と喜びを忘れてしまうのでしょう。
大谷選手の場合は、両親の教育方針と子ども時代の恵まれた環境が、大いに影響しているとも考えられます。
『天狗』にならない彼の人格は、幼少期から少年時代にかけて形成されたと言えるのです。
そして野球に注ぐ熱量はまったく衰えることがなく、何よりも野球が大好きだから、天狗になっているヒマなどある訳がないのです。
新年のテレビ番組で、今年の飛躍が期待される若手女優が「注目することは?」と聞かれ、「誰が大谷選手と結婚するかです」と答えるほどですから、いろんなことが本当に規格外なのです。
大谷翔平選手の二刀流を支えているのは鉄のメンタルだった!
大谷翔平選手の数字上に表れるすごさはスポーツ新聞をはじめ、いろんな記事で紹介されていますので、この記事では別な角度から彼の偉大さに迫りました。
二刀流の大谷翔平選手は、大リーグでもベーブルースを超える100年に一人の逸材と絶賛されていますが、彼の大活躍は鉄のメンタルあればこそです。
アメリカ人をも驚かせる、良い意味での協調性の無さが最大の武器と言える大谷選手。
それが容易に理解され、容認されるのがメジャーの素晴らしさでもあります。
大谷選手は「MLB歴史上だれとも類似性を持たない」。
あの口うるさいアメリカメデアも、そのように表現するほど、特異な存在なのです。
これを別な角度から眺めてみましょう。
チームメイトは勿論、MLB全体を見渡しても彼と同じメニューで練習する選手は誰一人いません。
二刀流ですから、他の選手たちと違う練習ニーズを持つのは当たり前です。
一人だけ特殊なことに取り組む選手が、他の選手と同じ練習メニューをこなすのは不合理この上ありません。
投手と野手の練習が違うのを考えれば、一目瞭然です。
大谷選手はそのことをよく理解していて、独特な練習に取り組みます。
他の選手が行う練習メニュー及びペースを全く無視して、独自のペースで特殊なメニューに専念できることこそ彼の凄さなのです。
例えば、投手を含むチーム全体のフィールディング練習が始まると、大谷選手は全く悪びれる様子もなく、たった一人でジムに入ります。
更に他の選手の行うマシントレーニングでは無く、強力な大きい輪ゴムを使い様々な方向に引っ張ったり、重りの入ったグラブを持って投球モーションを何度も繰り返したりするのだと言います。
大谷選手は『強打者』と『速球投手』を両立させる為、腕のしなりを損なう過度な筋肉が付くのを避けながら、瞬発力と持久力を両立させる練習に取り組んでいるのです。
春先の練習試合では予定されていた先発を休ませてもらい、ブルペンで捕手と二人っきりになって1ゲーム分の投球シミュレーションを行ったりと、完全にマイペースを貫きます。
このような姿から、チームメイトとの協調性は全く見えてきません。
だからと言って、我儘なわけではないのです。
監督やコーチの言う通り他の選手と似た様なメニニューこなすのが『普通』であり、精神的にもずっと楽だと思います。
だが『だれも達成できなかった事』にチャレンジするには、練習自体がチャレンジでなければならないのです。
他の人と同じことをやっていたのでは、全く意味がありません。
しかし、大リーグという選りすぐられたエリート集団の中で、一人だけ完全に我が道を行くのはとても勇気のいることです。
特に子どもの頃から協調性を叩きこまれ、同調圧力に弱い日本人なら、つい妥協しても不思議はありません。
見る人から見れば、大谷選手の行動は唯我独尊に映っても不思議ではないのです。
だが、彼は負けません、妥協する気配すら感じさせないのです。
この「鉄のメンタル」こそが、大谷選手の二刀流を支える最大の武器と言えます。
協調性をあまり重視しないアメリカ人でも大変な事だと思いますが、それを日本人がケロッとした顔でやってしまうのですから、本当に彼はすごいのです。
体罰だ、縦の関係だ、やれ連帯責任だと、いまだに旧日本軍の影を引きずる日本の高校野球と大学野球。
大谷翔平少年はそんな高校野球時代から、現在のような野球哲学を持っていたと聞きます。
素晴らしい監督やチームメイト、そして花巻東高校の校風にも恵まれたいうことでしょう。
鉄のメンタルなんて、実は簡単に作れます。
野球を楽しむこと、自分の好きな事、やりたいことを心から楽しむことです
自分の本当に好きな事を楽しみつつ、それに没頭すると人の目も批判も全く気にならないもの。
他人の目が気のなるのは、自分のやりたいことに没頭していない証拠です。
好きなこと、やりたいことに没頭しよう。
そうすれば、自然に鉄のメンタルが備わるものです。
長嶋さんも、野茂さんも、イチローさんも、松井さんも、皆そうでした。
個性を尊重するアメリカではなく、個人より団体が優先される日本から大谷選手が生まれたことにも、より大きな意義があるのではないでしょうか。
大谷二世になりたいなら、或はつくりたいなら、常識が最も邪魔なのに気づいてください。
世間に迎合する小心から、傑作は生まれません。
大谷翔平のプロフィールとエンゼルス入団までの軌跡
大谷翔平選手は岩手県水沢市、現在の奥州市に生まれました。
身長が192㎝で体重は102㎏です。
父は元社会人野球の選手で、母は元バドミントン選手でした。
優れた身体能力は両親のDNAを引き継いでいるのでしょう。
野球を始めたのは小学校3年生の時でした。
6回制の試合で17個の三振を奪ったこともあり、キャッチャーをやっていた子は球が速すぎてとても怖かったと語っています。
6回ですから、全部で18アウトです。
それで三振17個とは、子どもの中に大人が一人紛れ込んでいたようなものだったのでしょう。
この頃に大谷少年が憧れた野球選手は、打者では松井秀喜さん、投手ではダルビッシュ有選手だったと言います。
中学生時代は一関リトルシニアに所属し、全国大会に出場しましたが、大谷翔平少年が全国的に注目されるようになったのは、花巻東高校時代です。
大谷選手と入れ違いで卒業していった菊池雄星先輩に憧れて入学を決めたと言います。
西武ライオンズから大リーグへ行った菊池雄星投手です。
大谷選手は高校入学と同時に目標を立てます。
「日本一になる」「日本人最速となる160kmを記録する」
「ドラフトで菊池雄星先輩を越える、8球団から1位指名を受ける選手になる」です。
高校3年生の夏には、岩手県大会の準決勝で一関学院高校と対戦し、アマチュア野球史上初となる160kmを記録します。
入学時に定めた目標を達成できたのはこれだけでした。
高校3年生では夏の甲子園大会出場が叶わず、高校日本一になることはできなかったのです。
野球はチームプレーですから、大谷君と言えどもこればかりはどうにもなりません。
もう一つの目標であったドラフト会議での「8球団以上から指名される」は本人の目標変更でこちらも達成されませんでした。
甲子園ではそれほど驚くような活躍を見せられなかった大谷少年でしたが、驚異的な身体能力は多くの野球関係者の目に焼き付いたのです。
160㎞の剛速球と長打力、さらには脚力まで備えた類まれなる素質はアメリカ大リーグからも注目を集めます。
プロ野球へ志望届を出した当初は「日本の球団か大リーグかは半々です」と語っていました。
だが、大リーグは想像以上に大谷選手獲得へ熱心だったのです。
ドジャースやレンジャーズ、レッドソックスとの面談を重ねていくうちに、彼の考えは大リーグ挑戦へと大きく傾きます。
2012年10月21日には、大リーグへの挑戦を正式に表明しました。
「日本のプロよりもメジャーリーグへの憧れが強く、マイナーからのスタートを覚悟の上でメジャーリーグに挑戦したい」
と記者会見で、そのように語ります。
しかし、はるか太平洋を越えて羽ばたこうとする少年の前に、日本の球団が立ちふさがります。
10月23日のことです。
日本ハムファイターズの山田正雄GMが、大谷選手をドラフト会議で1位指名すると公表します。
続いて日本ハムの栗山英樹監督も発言しました。
「大谷君には訳無いけれど、指名をさせていただきます」と。
そして運命の2012年10月25日がやってきました。
ドラフト会議が開催されます。
予告通りファイターズは、大谷選手を1巡目で単独指名し交渉権を獲得したのです。
「びっくりしたし動揺もしました。
評価して頂いたのは有り難いが、アメリカでやりたいという気持ちは変わりません」
指名された直後の会見で大谷少年は少し戸惑いながらも、はっきりと宣言します。
稀なる若き才能をやすやすとアメリカに渡してなるものかと、日本ハムファイターズはすぐさま行動を開始します。
だが、大谷少年の気持ちはガンとして動きません。
指名挨拶でファイターズ関係者が訪れても、彼は面会を拒否します。
しかし、ファイターズも百戦錬磨。
この程度は織り込み済みです。
全く躊躇することなく、それほど間を置かずに再び大谷家のインターフォンを押します。
さすがのこの時は、礼儀を大切にする大谷少年が折れて挨拶を受け入れました。
一度会ってしまえば、スカウトや交渉役はプロです。
両親を交えた入団交渉へと話は進むことになりました。
3度目の入団交渉からは栗山監督も同席しましたが、この時の話し合いが大谷少年の心を大きく動かします。
『大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜』と題された30ページに及ぶ資料が、大谷家の家族に提示されたのです。
高校を卒業して直接アメリカへ渡った韓国の野球選手が、MLBで活躍しているケースが少ないことや過酷なマイナーリーグの現状などが事細かに説明されていました。
日本のプロ野球で実力をつけてからアメリカへ渡っても決して遅くはない、いや、その方が賢明な選択だと、懸命に訴えかけられたのです。
日本ハムファイターズは、大谷翔平選手の大リーグ入りを応援することも約束されます。
決定打となったのは、栗山監督が保証した『二刀流への挑戦』でした。
こうして、4度目の交渉で入団が決まったのです。
日本ハムファイターズへ入団すると1年目から二刀流として1軍で活躍しました。
日本のプロ野球には4年間在籍し、投手では通算42勝15敗、防御率2.52、打者としては24本塁打、打率2割8分3厘、打点166の数字を残してエンゼルスへ入団します。
夢にまで見た大リーグです。
ロサンゼルス・エンゼルスでは1年目から、大リーガーとして大活躍を見せました。
2018年の開幕戦では初打席の初球をとらえて初ヒットを記録し、4月には3試合連続ホームランを放つと投手としても、初勝利を飾ります。
日本では二刀流の凄さがもてはやされますが、アメリカ現地ではどのように見られているのでしょう。
現役MLB選手の目は、素晴らしい身体能力に注がれます。
ホームランの飛距離と打球速度が早いこと。
160キロ超の速球を投げるバネと柔軟性、さらには盗塁を量産できる脚力に驚くのです。
疲れを知らない彼の身体は驚異的だと言う選手もいます。
大谷選手が二刀流でデビューした時は、多くのプロ野球関係者が懐疑的でした。
だが、長嶋茂雄さん、王貞治さん、イチローさん等は二刀流を容認する発言をしています。
中でも、落合博満さんと松井秀喜さんは全面的に支持していましたね。
「本人がやりたいと言うのだから反対する理由がないじゃないか」
「ダメだったら自分が責任をとればいいのよ。人の言うことは気にするべきでない」
落合さんはこのように言っています。
「誰もやったことがないのだから、前例のないことをやる前に無理だと決めつけるのは、おかしい」
これが、松井秀喜さんの意見でした。
イケメンのうえ人柄も良さそうで、モテモテだろうと思われる大谷翔平選手ですが、これまでゴシップやスキャンダルとは無縁です。
何人か噂になった女性もいますが、あくまでも噂の域を出ません。
2021年には週刊文春が、少なくとも日本に彼女のいる形跡は無いと報道しています。
自然体が大谷選手の特徴です。
人の何倍も努力していると強調するわけでもなく、自分の成績を誇示するわけでもありません。
本当に野球を楽しんでいることが、言葉の端々から伝わってきます。
そんな大谷選手は、2023年の年俸を3000万ドルで契約したとエンゼルスが発表しています。
これは日本円でおよそ43億円となり、大リーグ全体では16番目の年棒だそうです。
さらにアメリカメディアの報道によりますと、これにスポンサーとの契約料が加わって2023年の収入は72億円になるだろうと予測しています。
72億円は高額所得者の多い大リーグでも2位ランクインされる総収入です。
大谷選手の二刀流もすごいが、収入も桁違いですね。
彼は2023年3月8日に始まるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に登場します。
日本が世界一に輝くためには彼の活躍が不可欠です。
野球シーズン初めから目を離せません。