名古屋ゴルフクラブ和合コースと小林支配人の強烈な思い出!
一度は行ってみたいゴルフ場はたくさんあり過ぎるのですが、やはり軽井沢の『旧軽』と『新軽』への憧れは強いですねえ。
どちらか一つでプレーさせてやる、と言われたら18ホールある『新軽』を選びます。
12ホールより18ホールの方が名門コースで長くプレーを楽しめるから。(笑)
東京G倶楽部も行ってみたいし、関東では他に大洗GC、那須GC、静岡ではやはり川奈GCでプレーしたいなあ。
関西では廣野G倶楽部と茨木カンツリー倶楽部、どちらも関西を代表するゴルフの名門コースですね。
行ったことのないクラブは、他人の評価やうわさ話、書物に載っていた書評などで判断せざるを得ません。
そんな外部からの情報を基にあれこれ考えると、どうしても伝統あるゴルフ場の名門へ行ってみたくなるのです。
伝統と格式ある名門コースは、雰囲気が良い。
クラブハウスに一歩踏み入ると落ち着きの中に漂う、静かなる緊張感が何とも言えないのです。
新築される前の小金井カントリー倶楽部や名古屋ゴルフ倶楽部のクラブハウスは趣があって、とても好きでしたね。
玄関、壁、食堂、ラウンジ、廊下などいたるところから、カントリー倶楽部を愛した先人たちの声が聞こえてきそうな雰囲気に満ちていました。
名古屋GCのクラブハウスには屋根裏部屋のような応接室があって、当時の小林支配人とよくその部屋で話をしたものです。
そうですね、あの名門コースで密談もしましたよ。(笑)
実は筆者が最もプレーしてみたいのは、この名古屋ゴルフ倶楽部和合コースなのです。
故小林支配人とは屋根裏部屋で懇談し、ある時は支配人じきじきで車を運転し、名古屋駅まで送り迎えしていただくほど親しかったのに、あの名門コースでは一度もプレーしたことがないのです。
支配人の案内でコース内は何度も歩きましたので、名門コースの18ホールほぼすべてをこの目で見ていますが、プレーには縁がなかったのです。
支配人と知り合うきっかけを作ってくださった方と一緒に回るべく計画したのですが、なぜかあの名門コースでは何度もプレーの話が壊れてしまったのです。
向こうは名古屋、私は当時東京に住んでいましたが、関東ではその方と3度もゴルフをしたのになぜ名古屋ではできなかったのでしょうか?
今後二人で小林さんを偲びながらラウンド出来たら、どんなにうれしいことか。
あの働き者の支配人がこよなく愛した池越えのパー3でワンオンできたら、思わず涙がこぼれるかも知れないなあ。
土曜日の早い新幹線で名古屋入りし、午前9時ころ倶楽部に到着するとクラブハウス玄関前の左側に黒塗りの高級車がずらりと並んでいました。
名門コースは駐車場ではなくこんな場所で、プレー中の社長を待っているのかと思ったら、さにあらず。
翌月の土曜日にゲスト同伴でプレーする人が、スタート予約のために待っているのでした。
メンバー本人もいるが多くは代理人のようで、受付開始の10時になったらフロントでスタート時間が記入された、ビジター用のカードを受け取るのです。
「東京じゃ、コースまで来て並ばせる倶楽部はもう、ないだろ」
「まだ、いくつか残っているようですが、珍しいでしょうね」
「うちは18ホールしかなくて、土、日はメンバータイムがあるから、ビジターの枠は少ないんだよ。
何たって、和合は人気あるからね」
現在はどうなっているのでしょうか、もうさすがに廃止されているでしょう、名門コースこだわりのアナログ習慣は。
そんな話をしていたら、名古屋に本社がある企業の社長室長とおっしゃる方がお見えになりました。
その会社の役員の方が和合Cに新規入会の申請をしたいので、その打ち合わせと言うことのようです。
席を代わって、私は少し離れたところで待機しました。
しかし、支配人の声は元気で大きい。
「あんたの所は、他にもメンバーがいるのにこんな事も分からんの?
これだけはダメだよ、特例は認められないんだよ。
決まり通りやってくれよ」
ちょっと、べらんめえ調がかっていて、ハッキリもの申すタイプでした。
苦労人で人情味あふれる人柄であったが、ダメなものはダメの厳しい人でもありました。
それにしても、超名門コースと言われる伝統あるゴルフ場の支配人で、あんな口調の方は他にいません。
しかし、日本を代表するトーナメント中日クラウンズの事務局長も兼ねていて、トーナメント関係者やコースのメンバーからの信頼は絶大なものがあったのです。
あの小林さんとラウンドをするチャンスが、永遠に訪れないなんて。
小樽カントリー倶楽部への熱き想い、奥道後CCの驚き、白川国際CCの妖精とは?
<小樽カントリー倶楽部・旧コース>
北海道の歴史とともに歩んだ名門コースと言えば、小樽カントリー倶楽部と札幌ゴルフ倶楽部・輪厚コース。
小樽カントリー倶楽部は北海道ゴルフの発祥の地とも言える名門コースであり、日本オープンが2度開催されるなど国内でも指折りの難コースとして有名です。
旧コースの9ホールは昭和3年、資産家によって提供された牧草地であるが、野芝がほぼ当時のままの状態で自生しています。
あえてフェアウエもラフも野芝のままにし、敷地内には大木がなく海風をまともに受け、英国のリンクスと環境や状態がとても似ているので、全英オープンに出場権を得た日本のプロがよく練習に来た時期もありました。
小樽カントリー俱楽部は北海道を超えて、日本を代表する名門コースです。
小樽カントリー倶楽部の歴史を知れば、日本人がゴルフへ憬れた歴史が見えてきます。
現在、女子プロ・ニトリレディースゴルフトーナメントが毎年開催されます。
この大会には先人たちから受け継がれた、道産子のゴルフに注ぐ熱き思いが注がれるのです。
札幌G倶楽部・輪厚はご存知の巨匠井上誠一が設計した名門コースです。
長年、全日空札幌オープンが開催されるなど、北海道を代表するチャンピオンコースとして有名であり、札幌の名士が集う倶楽部でもあります。
昭和7年札幌市月寒地区に札幌の有志が集まり、『月寒リンクス』を開場するが、昭和18年戦争の影響により閉鎖されます。
昭和33年、月寒リンクスの創設にかかわったメーンバーを中心に現在の輪厚に新カントリー倶楽部を開場、名門コース札幌G倶楽部の新たな歴史が始まったのです。
心残りなのが札幌国際カントーリクラブ・島松Cです。
事情があってこの名門コースは9ホールしかプレーしていないのです。
森の深~い懐に抱かれた素晴らしいカントリークラブでした。
ぜひ、もう一度訪れて27ホールすべてを回ってみたい、いや絶対回るぞ!
あのゴルフ倶楽部の名門コースを。
新興勢力では、栃木県のホウライカントリー倶楽部と静岡県の富嶽カントリー倶楽部。
GOLF雑誌などで見ると両クラブともたっぷりと距離があり、広いフェアウエにアンジュレーションがあり難易度の高さが持ち味のようです。
深い森に抱かれたホールは、シーンとした静けさが心地良いけど、広く見通しの効くホールはフワーと体に風を感じて、これまた素敵です。
他の地方で気になるのが、四国の温泉郷に展開する名門コース、奥道後カントリークラブ。
作家柴田錬三郎のために造られた名門コースだそうで、後にも先にも正会員は彼一人。
その辺の詳しい事情はよく分かりませんが、湯の里の名門コースで心惹かれるのは花や木がとても豊富なことです。
この奥道後カントリークラブは春は梅、さくら、木蓮、花桃、夏はアメリカンデーゴ、秋は百日紅、冬は山茶花、椿など四季を通じて敷地内には常に花が満開なのだそうです。
100,000本は下らないと言われる樹木は、すべて植樹だというのだから凄いというべきか驚くべきか。
私は花や木に造詣は深くないがゴルフ場でいろんな木を見るのが好きなのです。
特にクラブハウスのレストランから眺める、林や森がゆっくりと暮れてゆく風景には心が休まり大好きです。
ビール片手にこのままいつまでも眺めていたいと、最も印象に残るのは福島県の白河国際カントリークラブの森でした。
何度見ても飽きる事のない、不思議なほどに魅了される午後の森なんです。
森の奥にヴィーナスや妖精が住んでいるのかも知れない、いつしかそう思うようになっていました。
このゴルフ場を開設したのは(株)成井農林で、のちには北海道を代表する難コース・北海道クラッシックも開設しています。
白河国際CCは丘陵というよりは林間コースの趣を持つホールが多く、バックから打つ那須コースはフェアウェイが広く距離もある堂々たるチャンピオンコース。
風呂は弱アルカリ性の天然温泉で、肌がつるつると滑らかになるのが特徴。
コンペを何度も開催しましたがこのコースの天然温泉は、女性に絶大な人気がありました。
改築した新クラブハウスはめったに見られない銅板吹きの屋根を持つ、威風堂々たる和風の建物に仕上がったが、間取りの関係でレストランから妖精の森は見えなくなってしまいました。
森は外に出ると見えるが、やはりビール片手にガラス越しに見るのが風情。
白河国際CCはやがて成井農林の手を離れて、他社へ渡ってしまいました。
森の妖精もどこかへ行ってしまったに違いありません。