2025年の『日本オープンゴルフ選手権』は10月16日(木)~19日(日)の日程で栃木県の日光カンツリー俱楽部で開催される。
日光カンツリー倶楽部は名匠・井上誠一の設計により、1955年(昭和30年)に開場したゴルフ場で、栃木県では 2番目の歴史を誇っている。
県内で日本オープンゴルフ選手権を開催したゴルフ場は、2003年の日光カントリー倶楽部のみ。
したがって、今回の開催は当コースにとって2度目となる。
また、栃木県内ではたった二つしかない社団法人格を有するゴルフ場でもある。
ちなみに、もう一つが県内最初のコース、那須ゴルフ倶楽部だ。
井上誠一はできうる限り自然の地形を活かすことに心血を注ぎ、18ホールズ建設の指揮をとった。
その自然の力と造成の妙こそが日光カンツリー倶楽部の真骨頂だ。
平坦ながら長い年月によって刻まれたフェアウェイの微妙なアンジュレーションは、見た目をはるかにしのぐ難易度を演出する。
同じ飛距離でもボールの止まった場所が1mずれれば、うねりは変わる。
プレーヤーは豊かな感性と即応能力を持って挑まなくてはならない。
日光連山を借景としたその端然たる佇まいは、「自然と、設計者と、そして幸運が一体となって生まれたコース」との評価を得るほど秀逸だ。
このように『栃木県一の名門コース』と言っても、誰一人異議を挟む者がいない名門中の名門が日光カンツリー俱楽部だ。
日光カンツリー俱楽部は井上誠一設計!2025年日本オープンゴルフ選手権開催!
日光カンツリー俱楽部へ車で行くなら東北縦貫道を走り、宇都宮ICで日光宇都宮道路へと入る。
今市インターからコースまで約6キロだから時間にして10分ほど。
電車なら浅草から東武日光線に乗り東武日光駅で下車。
倶楽部バス、または、タクシーで7~8分と近い。
日帰りでも宿泊でも、存分に楽しめるのが栃木県一の名門コース『日光カンツリー俱楽部』だ。
筆者のおすすめは電車だ。
浅草から東武日光線で120分。
乗り換えなしだから、移り行く風景をゆったりした気持ちで楽しめる。
下車するのは終着駅なので、座席に身を委ね流れる時間に身を任せていればそれでよし。
栃木県が誇る世界遺産の名刹『日光東照宮』が、至近距離に異彩を放っている。
その先には、中禅寺湖、華厳の滝、男体山、戦場ヶ原など一大観光地が展開する。
周囲にはホテル、旅館が点在し宿泊施設に事欠かない。
ゴルフ場には自前のロッジもある。
ゴルファ仲間と行ってもよし、家族連れで行ってもよし。
日光カンツリー俱楽部で楽しむ選択肢は多い。
日光カンツリー俱楽部まで電車の旅を満喫!
東武日光線は最初に停まる東武動物公園駅に近づくと、奥武蔵の山々が見えてくる。
ゴツゴツした山肌、なだらかな山頂など変化にとんだ山並みだ。
奥武蔵連山の向こうには、上州の峰々も頭をのぞかせる。
榛名山、赤城山、そして妙義らしい姿も。
そのずっと奥に、うっすらと影のような姿を見せるのは浅間山だ。
上州の先に信州が浮かんで、時代を超えた自然の悠久を感じずにはいられない。
やがて列車は利根川を渡り、渡良瀬川を超える。
新大平下駅まで進むと、高原から見下ろす関東平野の眺めの何と秀逸な事か。
太平山は桜、紫陽花、紅葉の名所として知られ、山の松島と言われるほどの景勝地である。
男体山と女峰山の威圧が徐々に迫ってくれば、もうすぐ終点の東武日光駅だ。
井上誠一が日光カンツリー倶楽部建設に現在地を選んだ理由とは?
「自然と設計者、そして幸運が一体となって生れたコース」。
「基礎造形に自然が歩み寄った日光カンツリー倶楽部」。
2025年に日本オープンゴルフ選手権が開催される『日光カンツリー倶楽部』は、多くの言葉で表現される。
いづれも日光カンツリー俱楽部を称賛する言葉だ。
日光の冬は厳しいことで知られている。
平たんに見えながら幾多の厳冬に耐え年月を経るにつれ、実は微妙に変化し続けるのが日光カンツリー倶楽部のフェアウエイだ。
この感性でしかとらえられないアンジュレーションこそが、日光カンツリー俱楽部の特徴であり、真骨頂といえるだろう。
プレーヤーには、より優れた戦略性が求められるゆえんだ。
風に耐え雪を忍び寒をこらえる。
そのたびごとに円熟味と風格が増していく。
そんな味わい深いゴルフ場が日光カンツリー倶楽部なのだ。
井上誠一は誰よりも厳しい季節の艱難辛苦を想定して、コース設計に取り組んだことだろう。
50年、60年、70年と時を経るにつれ、彼の意図に自然が歩み寄る形で見事に結実した名作、それが日光カンツリー俱楽部だ。
日光カンツリー俱楽部は、栃木県出身で財界の重鎮だった加藤武男元三菱銀行頭取らが呼びかけて計画された。
「県内で最初にオープンした那須ゴルフ倶楽部は、東京もんがつくったゴルフ場だ。
栃木県人の力で世界に通用するゴルフ場を県内につくろう。」
そんな呼びかけに多くの人々が賛同し、集った。
世界に通用するゴルフ場の設計となれば、白羽の矢が立つのはこの人、井上誠一を置いてほかにいない。
依頼を受けて井上は中禅寺湖畔、霧降高原など日光の山中や高原を綿密に調査する。
だが、ゴルフ場建設用地として選んだのは日光の山中でも高原でもなく、河川敷ともいえる大谷川(ダイヤガワ)に隣接する土地だった。
明治時代に、二度の大洪水に見舞われた荒地だった。
表土が薄く、15cmか20cmも掘ればゴロゴロと石ころが現れ、バンカーの造成さえ困難な土地だ。
けれども、豪然とした山肌の男体山に向かって開ける河床の容姿に、井上誠一はとてつもなく魅了されたのだ。
高低差がわずか5mしかなかったのも、彼には重要な選定基準だった。
生い茂る松、杉、樅木、柳などの樹木も目を奪う。
彼の目には、それら自生の樹木が黄金の原石のように映るのだった。
何度か現地に足を運ぶうち、厳しい自然に育まれる日光特有の林間コースが井上の脳裏にイメージされたのだ。
ごく浅い土の下に隠れた石ころは、樹木の根が下へ下へと伸びるのを妨げる。
その分、根は横に広がるだろう。
そうなれば、枝も横へ横へと広がるはずだ。
バンカーは少なくていい。松や樅木の枝がきっと日光ならではのハザードになるから。
このように考え、バンカーは18ホールで計33ヵ所にとどめた。
天才、井上誠一は常に自然を観察し、自然から学ぶ。
ホールのセパレートには、自生する樹木だけを利用した。
ハザードとして残す木も当然、自生するものだけだ。
日光の冬は地面が凍る。
凍ったフェアウェイは、春になれば自然の力で解けていく。
凍てついた大地の緩みは土質、日照時間、地下水の量などによって、その年々で微妙に違うのが大自然の掟だ。
時を経ながら、その掟がフェアウェイに微妙な変化を加え続ける。
厳しい自然環境が与える変化こそが、コースの円熟味と完成度を増していくのだ。
自然に学ぶ姿勢を生涯貫いた井上は、百年先まで見通していたのだった。
こうして、北関東を代表する林間コースはたゆまず育ち続ける。
それが、今の日光カンツリー俱楽部だ。
日本オープンゴルフ選手権の開催により、全国にその秀麗な姿が公開される。
全国のゴルファをきっと魅了するに違いない。